恋愛

映画【リービング・ラスベガス】おつまみ【トウモロコシのカルボナーラ】

画像引用:© 1995 Initial Films

この映画はこんな人におススメ!!

●人生を諦めかけている人

●自暴自棄の気がある人

●酒に溺れた経験がある人

●滅びの美学を学びたい人

タイトルリービング・ラスベガス
製作国アメリカ、フランス、イギリス
公開日1996年9月14日(日本公開)
上映時間111分
監督マイク・フィギス
出演ニコラス・ケイジ、エリザベス・シュー、
ジュリアン・サンズ

破滅的な恋に身を委ねたい時に観る映画

破滅的なカップルを描いた恋愛映画は、

古今東西枚挙に暇が無い定番ですが、

この映画の様に互いを必要としていながら、

「救わない」という選択肢の中に

究極の愛を描いた作品というのはちょっと他に例が見つかりません。

大概は愛する人を立ち直らせて、

そこから新しい道を歩むハッピーエンドが良しとされ、

破滅的なバットエンドだとしても、

駄目な相手を必死に良き道へと導こうとするのが定石な筈です。

しかし本来人間というものはそんな簡単に悔い改められる生き物ではないのです。

そして世の条理が常に正しいという価値観も如何なもので、

その人にとって本当に幸せだと思える破滅の形というのも、

ひょっとしたらあるのでは無いかと、

この映画は私達に問い掛けてくるのです。

主人公のアルコール依存症のベンを演じたニコラス・ケイジは、

狂気に憑りつかれた男の悲哀を見事に表現して

第65回アカデミー賞に於いて主演男優賞を獲得しました。

そしてヒロインの孤独な娼婦を演じたエリザベス・シューも、

それまでの清純派のイメージを脱却し、

深い表現力で高い評価を得ました。

監督のマイク・フィギスは元々ミュージシャンで、

今作でも自ら音楽を担当しています。

スーパー16ミリフィルムで撮影された粒子の粗い映像と、

しっとりとしたジャズが絶妙な郷愁を誘い、

破滅的な物語をより切なく彩っています。

砂漠の真ん中にある乾いた欲望の街ラスベガスを舞台に、

儚くも美しい失われた週末の滅びの美学。

大人の恋愛映画の異端作として、

記憶に残る名作になっています。

運命に導かれた二人

画像引用:© 1995 Initial Films

主人公のベン(ニコラス・ケイジ)はハリウッドの売れっ子脚本家でした。

しかし酒に溺れ重度のアルコール依存症に陥り、

妻子には逃げられ会社はクビになり、

友人にも見捨てられ全てを失います。

彼が酒に溺れた理由ははっきりとは描かれていません。

それはこの物語がその理由を克服して

主人公が再起を図る事を目的としている訳では無いからです。

これは人生の終わりのその日まで如何に生きるのか。

そして一人の人間が本当の幸福に出会うまでの切実な物語なのです。

ベンは豪華な邸宅を捨て、服や自身の脚本を燃やし、

24時間酒が飲める退廃と欲望の街ラスベガスに流れ着きます。

そしてそこで娼婦のセラを出会うのです。

このセラという女性も如何にして娼婦に身を落したのか語られません。

彼女は夜の街に生きながら擦れた所の無い、

心根の優しい純真な女性でした。

余りに真っすぐ過ぎて男性に良い様に扱われ、

虐げられる前時代的な女性像でもあります。

互いに相手の弱さを知り、

そこに惹かれていった所に、

この物語の切なさが凝縮されている様に思います。

片や死ぬまで酒を飲み続けると決心した自暴自棄な男。

片や自分を必要とする人間に固執する満たされない愛を抱えた女。

この不完全で一方通行な愛の形が、

欲望の街の中で一層ピュアで貴重な物に見えてくるのです。

例え長く続かない事を互いが予見し、

刹那の中に永遠を見る二人の視線の中に、

奇跡的な運命の力が宿っている様に次第に思えてくるのです。

破滅的おつまみ

今日のおつまみは【トウモロコシのカルボナーラ】です。

夏は何と言ってもトウモロコシの季節ですよね。

近年「もろ活」などという言葉を聞いたりしますが、

どんな料理にアレンジしても豊かな甘味で優しく彩ってくれます。

これも最近我が家の食卓で大流行の生麺タイプのフィットチーネ。

胡椒をたっぷり挽いて食欲倍増。

破滅的な食欲に身を委ねたい時のおつまみです!

滅びの中の無償の愛

画像引用:© 1995 Initial Films

カトリックでは自殺は禁じられています。

生命は神の意志であり、

自分で決められるものでは無いのです。

人生を自棄した男が、

死ぬまで酒を飲み続ける事は果たして自殺でしょうか。

或いはそうなのかも知れません。

酒が解決する事はきっと無いでしょう。

しかし幸せとは一体誰が決めるのでしょうか?

他人が下すジャッチはあくまでも他人の価値観の管理下にあります。

本人の本心は誰にも分かりません。

健康な身体を自らボロボロにするなんて愚かな行為だとは思います。

ベン自身も望んで依存症に陥った訳では無いでしょう。

しかし生命を如何に使い、如何に終わらせていくかという事について、

彼の生き方は私達の価値観に一石を投じている事もまた確かなのです。

病を背負った人が尊厳死を求めるのとは大きく違いますが、

自分の生命の終わりを自分で決める人間が実際多いのもまた事実です。

ベンの物語は如何に生きて如何に死ぬかという事の

本質を私達に問い掛けてくるのです。

セラが彼を救いたいと思っている事は確かですが、

また彼の深い絶望を理解しているが故に

その意思を尊重したいという気持ちを持っているのです。

それは彼にとっての幸せとは一体何なのかと本気で考えているからです。

ずっと彼と一緒にいたいという自分の欲望よりも、

相手の信念を尊重したのです。

これも一つの無償の愛を呼べるのでは無いでしょうか。

酒を止めて立ち直る事も幸せな結末ですが、

互いの孤独を認め合って意志を尊重し合う相手と最後に巡り合えた事こそが、

ベンにとっての幸福だったのかも知れません。

破滅的な恋に身を委ねたい時に観る映画。

人の一生など宇宙的観点から見ればほんの瞬きの間の出来事でしょう。

人生に目的や意味を求める人にとっては、

或いはこの映画は退屈で理解不能だったかも知れません。

しかし倫理観や価値観は本来相対的なものではありません。

あなたにしか通用しないマイルールなのです。

ベンとセラの生き方もまた然り。

彼等の一瞬の輝きに全てを賭けた失われた週末が美しいのは、

私達には理解出来ない様な方法と意味で、

互いを愛し合っていたからなのかも知れません。