SF映画

映画【ストーカー】おつまみ【和風ひじきハンバーグ】

画像引用:IMDb

この映画はこんな人におススメ!!

●不思議な物語に飢えている人

●この世の果てに旅したい人

●人間の本質に迫りたい人

●伝説のSF映画を体感したい人

タイトルストーカー
製作国ソビエト連邦
公開日1981年10月31日(日本公開)
上映時間164分
監督アンドレイ・タルコフスキー
出演アレキサンドル・カイダノフスキー、
アリーサ・フレインドリフ、
アナトリー・ソロニーツィン、
ニコライ・グリニコ

映画鑑賞の概念を越えた体験がしたい時に観る映画

映画は大衆娯楽であり人に夢を与える物として発展しました。

世界中で数え切れない作品が制作し続けられ、

TVの出現やインターネット社会になっても、

映画という魔法の力はその輝きを失いませんでした。

今、半世紀以上前の作品を観返した時に、

古臭さを感じない作品がどれくらいあるでしょうか?

或いは現代に至るまでその影響力を失わない作品が?

アンドレイ・タルコフスキーという旧ソビエト連邦の映画監督は、

長い映画の歴史の中においても非常に稀な、

時代を越えて尚尊敬を集め続ける数少ない巨匠の内の一人です。

寡作な彼のフィルモグラフィの中でも、

特に伝説として語り継がれている作品がこの【ストーカー】なのです。

決して大衆向けの娯楽作品ではありませんが、

この不可思議で奇妙な世界観に一度でも足を踏み込めば、

それまでに経験した事の無い目も眩む様な思索の旅に出る事が出来るでしょう。

それは現代の多様化された芸術性ともやや異なる、

観る者一人一人の内奥へと潜っていく様な、

一種の退行行為とも呼べる映像体験なのです。

目の前の映像に対して是非理屈では無く感じるままに受け取ってみて下さい。

そこには誰の心にも存在する原初体験にも似た物語があるはずです。

意識の先の原体験

画像引用:IMDb

物語は表面上はSF映画の体裁を取っています。

隕石の衝突なのか或いは地球外生命体の仕業なのか、

原因不明の「ゾーン」と呼ばれる不思議な場所がある小国に誕生します。

そこは人の望みを叶えてくれる場所として、

多くの人々を虜にしてきました。

しかしそこから帰ってきた者は無く、

呪われた場として立ち入りを禁じられてしまいました。

その「ゾーン」に訪れる不法侵入者達のガイド役として、

「ストーカー」と呼ばれる男が新たに二人の男を「ゾーン」に導くのです。

「ゾーン」とは一体何なのか?

その答えは明かされません。

「ストーカー」とはどんな能力を持った人間なのか?

それもよく分かりません。

つまりは考えて答えを導く様な映画では無いのです。

彼等は警備兵の隙をついて「ゾーン」に侵入します。

そこは殺風景なこの世の果ての様な場所。

草木が生い茂り、至る所に水溜まりのある湿地帯。

朽ち果てた家屋がその中心にありそこが「部屋」と呼ばれる目的地なのですが、

目の前にその建物がありながら湿地帯を遠回りして近付きます。

「ゾーン」には数々の罠があり、

それが刻一刻と変化し続ける場所なのだそうです。

ストーカーに導かれた二人の男は、

「ゾーン」の力に最初疑いを持っていましたが、

次第にその尋常ならざる雰囲気に畏敬の念を感じ、

自分自身と向き合わされる事で恐怖に捉われていきます。

どんな望みでも叶える場所としての「ゾーン」が、

人間の限りない欲望と猜疑心を浮かび上がらせ、

やがてその価値観を根幹から変えていってしまうのです。

この世の「未知」なる物の象徴。

「神」や「宇宙」などを連想させる力を前に、

人間の業などただただ立ち尽くすしか無いという非情な境地に立たされます。

健康和洋折衷案

今日のおつまみは【和風ひじきハンバーグ】です。

西洋料理と和食の融合です。

栄養素の王様ひじきをたっぷりと練り込んで、

大根おろしと鰹節の上からはポン酢をぶっかけます。

実家の畑で収穫された甘いジャガイモを付け合せに。

食欲を満たし更に健康な体作りにも貢献してくれる。

まさに望みのすべてが叶う「ゾーン」に入ったおつまみです。

歴史は繰り返す

画像引用:IMDb

古今東西あらゆる宗教や神話には人間の驕りに対する警句が含まれています。

映画【ストーカー】には突如人類にもたらされた人智を越えた存在が、

人々を狂わせていく様を丹念に描いています。

「ゾーン」を唯一の希望と崇める者。

「ゾーン」を危険視し破壊しようとする者。

「ゾーン」の恐ろしさに怯える者。

神の気まぐれは与えもし奪いもするのです。

それは人類の歴史の中でも幾度も繰り返されてきた悲劇。

火薬の発明が人殺しの道具を作り、

ウランの核分裂が原子力爆弾を生み出しました。

あらゆる発見は諸刃の刃となって人類に牙を向けてきたのです。

映画のタイトルにもなっている「ストーカー」と呼ばれる案内人。

彼こそが「ゾーン」という神秘性にどっぷりと浸かり、

そこに幻想を抱き続ける存在、

つまり科学の発展や神をも恐れぬ暴挙を繰り返す人類の象徴なのです。

「救い」であるとか「力」というワードに憑りつかれ、

それを唯一の希望と信じる宗教的な人物。

その妄信性にタルコフスキーは問題提起をしています。

彼は何度も「部屋」の前まで行きますが、

自らはその「部屋」に入ろうとはしない。

奇跡の当事者にならずに、

その威光にすがって僅かな自尊心を保っていたい。

これが長い歴史の中の多くの名も無き大衆の姿なのでは無いでしょうか。

映画鑑賞の概念を越えた体験がしたい時に観る映画。

タルコフスキーはSF映画という鎧を纏い、

とても辛辣な人間批評を描いています。

それは映画の中で意図的に繰り返され、

不快感や不安を煽って私達の脳裏に強烈に焼き付けます。

まるで幼い頃の記憶の様に。

何度も繰り返し観る夢の様に。

この映画は観た人の周りで空気の様に漂い続けるのです。