画像引用:© LIONSGATE FILMS 1998
こんにちは!ころっぷです!!
今日の映画は【バッファロー’66】です。
ヴィンセント・ギャロが監督・脚本・主演・音楽を手掛けた、
オフビート感満点の恋愛映画。
1999年の公開当時、ミニシアターに於いて異例の大ヒットを記録し、
ファッションや音楽に至るまで若者を中心に多大な影響を与えた作品です。
孤独な男の不器用な恋を描いた異色作。
惨めで不格好なアウトローの悲哀に、
いつの間にか感情移入している不思議な魅力も持った作品です!
この映画はこんな人におススメ!!
●ファッション性のある映画を求めている人
●奇抜な演出に飢えている人
●社会のはみ出し者達に興味がある人
●究極に不器用な恋愛を目撃したい人
タイトル | バッファロー’66 |
製作国 | アメリカ |
公開日 | 1999年7月3日(日本公開) |
上映時間 | 110分 |
監督 | ヴィンセント・ギャロ |
出演 | ヴィンセント・ギャロ、クリスティーナ・リッチ、ベン・ギャザラ、アンジェリカ・ヒューストン、ミッキー・ローク、ロザンナ・アークエット |
どこまでも不器用な愛を目撃したい時に観る映画
今作が日本で公開された1999年7月。
今となっては懐かしいノストラダムスの大予言が世間を騒がせていたあの頃、
わたくし、ころっぷは東京は小金井市で一人暮らしをしていました。
19歳の専門学校生。
映画監督を夢見て上京したのですが、
丁度この年の夏は映画館に通いまくっていた時期でした。
そしてこの年、渋谷PARCO part3に新しく誕生した映画館「シネクイント」の
こけら落とし上映がこの【バッファロー’66】だったのです。
ピカピカのフロア、フカフカのシートで体感した110分の衝撃。
若き映画青年の心を鷲掴みにした作品でした。
何と言っても主演のヴィンセント・ギャロが抜群にカッコ良い。
細身の長身に黒いレザージャケットを羽織って、
オールバックの長髪に鋭い眼光。
小心者なのに粋がって、粗暴に振舞うも淋しがり屋。
驚くほどに自己中心的で、愛されたいけど干渉されたくない。
兎に角面倒臭いキャラクターなのに何故か憎めない。
我々観客はそんな彼の姿に悉く自分自身を重ねてしまっていたものです。
正にわたくしにとって青春の一作という映画ですが、
今改めて見直してみても全く色褪せない作品です。
どこか60年代のアメリカン・ニュー・シネマを彷彿とさせる空気感。
特に大きな出来事が起こる訳では無いのですが、気が付くと目が離せなくなってしまう。
そんな愛すべきクソ野郎の究極に不器用で不細工な恋愛映画。
きっと初見のあなたも彼の事を放って置けなくなってしまう筈です。
孤独が引き寄せた奇跡のカップル

画像引用:© LIONSGATE FILMS 1998
物語は主人公ビリーが5年の刑期を終えて刑務所を後にするシーンから始まります。
どんよりとした寒空の下に放り出されたビリー、
中々来ないバスを待ちベンチで丸くなって眠ってしまう。
そして寒さから尿意を覚え、再び刑務所にトイレを借りに行くシーンが、
既にこの主人公のキャラクターを如実に表していて秀逸です。
根無し草のアウトロー。
全身から小者感が滲み出た惨めな男が、
トイレを求めて右往左往するという映画の幕開けは、
滑稽でありながらも見事に観客の関心と感情移入を促すシーンになっていました。
そして長く会っていない両親に吐いた嘘を取り繕う為に、
一人の女性を無理やり自分の妻の振りをさせて道連れにするという展開。
拉致同然で連れ去られるにも関わらず、
クリスティーナ・リッチ演じるこのウェンディと名付けられた女性は、
どこまでもビリーに健気に尽くします。
自分勝手で粗暴、下品で情けないビリーに対する優しさと思いやり。
そこには彼女自身の語られる事の無い孤独から来る、
日常からの脱出願望があったのでは無いかと推察出来ます。
本当にどうしようもない様な男であっても、
自分を必要として行動を共にする存在として、
彼女の心には同情や好奇心と共に、
いつの間にかビリーに対して親愛の情が生まれていくのです。
そんな奇跡的な出会いを果たしているにも関わらず、
ビリーという男は彼女にどう接していいのかが分かりません。
どこまでも不器用で不細工なコミュニケーション。
噛み合わない会話と、一方通行な感情表現。
偶然の出逢いを前に少年の様に戸惑う姿が、
また実に滑稽ながらも共感を誘ってもくるのです。
両親からの愛を受けて来なかったビリーが、
それでも愛されたいと心に秘めながら苦悩する姿。
周りの嘲笑や悪意を受けても悪い人間になり切れない優しさ。
そんな情けない丸裸の人間が右往左往する様が、
強烈に観客の心を打つのです。
一口おつまみ

今日のおつまみは【プチ・トルティーヤ】です。
メキシコ発祥のトウモロコシ粉で出来た薄焼きパンに、
好きな具材を挟んで食する軽食ですね。
おやつにもいいですけど、これも立派なおつまみになります。
今回の具材はキャベツの千切りにバジルとレモンのソーセージ、
プチトマト、ブラックオリーブの酢漬け、チーズです。
ビールともワインとも相性の良い手軽なおつまみです。
人生の分岐点で暫し立ち止まる

画像引用:© LIONSGATE FILMS 1998
人は一生の中で重要な分岐点を何度か経験する筈です。
何かが変わる時。
右に行こうか、左にしようか。
後から振り返って反対の道に進んでいたらどうなっていただろうかと、
考えたりもするでしょう。
この映画はその分岐点の手前に立った主人公とヒロインが、
暫しの間逡巡し立ち止まる時間を描いた作品であると言えます。
これまでの人生を振り返る事と、
これからの人生を予見する事との間。
そこで長く、無駄な、遠回りの時間を共にするのです。
ビリーの悲しみや憤りは、
右側の険しく人の道から外れたルートを選ばせようとする。
一方ウェンディの優しさは、
左側の明るく余計なプライドなど捨てさせようとするルートに誘う。
心の底では愛して欲しくて泣いていたビリーがどちらの道を選ぶのか。
しかしそもそもが選択肢など持っていないに等しかった孤独な男に、
可能性をもたらしたウェンディの存在が、実に奇跡的で尊いのだと思います。
軽んじられ、馬鹿にされ、無視され続け、
下らないプライドの拙い武装で身を固めていた主人公ビリー。
これはもう自分をそこに重ねずには居られない、
映画史上稀に見る情けない主人公なのです。
どこまでも不器用な愛を目撃したい時に観る映画。
今作の監督・脚本・主演・音楽を手掛けたヴィンセント・ギャロは、
嘗て画家のバスキアとバンドを組んでいた事もあるマルチアーティスト。
画家であり、音楽家であり、パフォーマーでもあった彼の才能が、
余す事無く注ぎ込まれたのがこの【バッファロー’66】という作品でした。
彼自身が作成した劇半も素晴らしいのですが、
作中の重要なシーンで使われるイエスの楽曲やキング・クリムゾンの楽曲が、
強烈な印象を残します。
また小津安二郎監督の影響と語る独特のカメラワークと構図。
通常の映画では中々お目に掛からない様な如何にも現代アート的な手法が、
当時も今もこの作品の魅力になっています。
所謂ハリウッド的な理路整然としたスマートさとは対極にある様な、
激しい感情と不条理。
そしてどこまでも純粋で乾いた質感は、
時を経ても全く色褪せない輝きを持っています。