コメディ映画

映画【アメリカン・ビューティー】おつまみ【夏野菜のキムチ炒め】

画像引用: © 2021 DREAMWORKS LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

この映画はこんな人におススメ!!

●悲劇の様な喜劇が観たい人

●喜劇の様な悲劇も観たい人

●家族に対する悩みを抱えている人

●幸せとは何かとふと考えてしまう人

タイトルアメリカン・ビューティー
製作国アメリカ
公開日2000年4月29日(日本公開)
上映時間122分
監督サム・メンデス
出演ケビン・スペイシー、アネット・ベニング、
ソーラ・バーチ、ウェス・ベントリー、
ピーター・ギャラガー、クリス・クーパー

家族の狂気に触れたい時に観る映画

今作の監督を務めたサム・メンデスはロイヤル・シェイクスピア・カンパニー出身の

バリバリの舞台演出家。

数々の舞台で大きな賞を受賞していた彼は、

その演出手腕を買われて初めて挑んだ映画演出で、

いきなりゴールデングローブ賞とアカデミー賞の両方で監督賞を受賞。

興行成績も全世界で3億ドルを超える大ヒットとなり、

正に華々しいデビューとなりました。

今作にも舞台出身のサム・メンデスらしい舞台的演出が随所に見られます。

特に如実なのはカメラと被写体との距離感。

舞台上の役者を客席から傍観する様なカットが多く見られ、

登場人物達の人生の悲喜こもごもを覗き見する様なスリリングな雰囲気があります。

日常のベタ気味なライティングでのっぺりとした画面作りと、

妄想の世界の陰影の色彩豊かなイメージ、

そして粒子の粗いビデオフレームの中の登場人物の心を射貫くようなショット。

映像表現の自由度と不自由さを効果的に対比してみせたサム・メンデスの、

デビュー作とは思えない適応力には驚かされます。

そして後にスキャンダルでキャリアを潰した主演のケビン・スペイシーですが、

今作の演技を見るとやはり役者としての才能の高さは疑いようの無いものがあります。

カットが変わる毎に豹変する表情や仕草、

滑稽な人物造形の中に独特の奥行きを与えられる稀有な俳優である事がよく分かります。

崩壊寸前というか、既に崩れ終わっている様な家族の肖像。

喜劇と悲劇が表裏一体であるというこれ以上ない手本の様な作品です。

中年の反逆

画像引用: © 2021 DREAMWORKS LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

物語は比較的裕福な郊外の邸宅に暮らすとある一家が主役となっています。

広告会社の中間職に就く父親のレスター(ケビン・スペイシー)。

不動産業を営む上昇志向の強い妻のキャロライン(アネット・ベニング)。

父親を嫌い母親にも反発する年頃の娘ジェーン(ソーラ・バーチ)。

よくある家族のよくある姿なのですが、

この典型的な家族に次々と思っても見なかった変化と混乱が訪れるのです。

娘の同級生の少女に性的な興奮を覚えたレスターは、

忘れ掛けていた我が世の春を取り戻すべく、

それまでの諦観の日々を投げうって自分を根幹から変えようと奮闘。

一方夫への愛などとうの昔に潰えているキャロラインは商売敵の男と不倫関係になり、

娘のジェーンは隣に越してきた盗撮男といつの間にか良い仲になっている。

それぞれがそれまでの人生に欠けていたものを追い求め、

幻想と現実の狭間で揺れ動く様がつぶさに描写されていきます。

アメリカ社会に於ける中流階級の家庭の姿が、

如何に外面ばかり取り繕った虚構であるかを執拗に描き、

不逞やドラッグや家庭内暴力の蔓延を喜劇的に描いていくのです。

それは本来は悲劇であるのに、

異常が日常化するとどんな事でも冗談の様に見えてきてしまったり。

現代人が陥っている異常性の常態化という恐怖が徹底的に俯瞰的に示されているのです。

このサム・メンデスの批判精神と次第に不穏な空気を纏っていく

サスペンス性とがこの映画の観客を惹き付ける原動力となっているのです。

おつまみの反逆

今日のおつまみは【夏野菜のキムチ炒め】です。

やっと朝晩は比較的過ごし易い気候になってきた近頃ですが、

身体に残った夏バテを追い出す為にもここいらでスタミナ料理の登場です。

ゴーヤと茄子と椎茸に、

豚バラ肉を一口大に切った物を強火で一気に炒め、

大量のキムチで真っ赤にシバキ上げた一皿。

ピリッと唐辛子が効いていて最高に食欲増進。

野菜の滋養と豚肉のビタミンで残暑の弛みに喝を入れます。

人生とはそれでも生きるに値するのか

画像引用: © 2021 DREAMWORKS LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

この映画を観てその悲劇的な結末に唖然とする人も多いかと思います。

しかし思い出してみれば主人公のレスターは映画の冒頭で既に、

「一年も経たない内に僕は死ぬ」と宣言し娘の同級生に発情する己を特に恥じる所も無い。

彼の中では何も不思議では無い通常運転の範疇であって、

世界は既にその異常性の中で営まれ続けているという事の示唆でもあるのだと思います。

映画のタイトルはアメリカ原産の真っ赤なバラの品種名なのだそうですが、

このけばけばしく主張の激しいバラの花の美しさと虚構性が、

この家族やその周りの人間達の異常性を際立たせる

小道具となっている所もニクイ演出です。

彼等は「家族」という入れ物を維持する為に己を曲げる事など一切せず、

気持ちの良い位に欲望に邁進していきます。

それが現代のアメリカを象徴しているとまでは言いませんが、

サム・メンデスのシニカルな喜劇性は、

警鐘では無くあくまでもニュートラルな人間観察の研究結果の様に、

私達の眼前にそれを提出するので却って恐ろしさが際立つのです。

崩壊していく過程こそが彼等の本質であり、

それまでの繕っていた生活こそアメリカという社会が作り上げた虚構であるという、

喜劇とも悲劇とも付かない剥き出しの現実がホラー映画の様に

観る者の心に恐怖の尾を引くのです。

家族の狂気に触れたい時に観る映画。

この家族が辿り着く結末には一握りのカタルシスもありません。

私達観客に彼等に同情し得る要素が特に無く、

また私達がそれぞれの日常で抱える悩みを浄化し得る共通性が無いからです。

それなのに何故この映画はこれ程までに面白いのか。

それは他人が欲望に身悶えする姿は滑稽であり、

どんな人間にとっても人生は生きるに値するものであると感じさせてくれるからなのです。

例え絶望的な状況にいたとしても、

そこから脱却する術はない訳では無い。

結果は振るわなくても、変化は悪では無い。

それがある意味では人生の尊さなのかも知れないと

感じさせてくれる映画なのだと思います。