ヒューマンドラマ映画

映画【ぐるりのこと。】おつまみ【茹で枝豆】

画像引用:©2008『ぐるりのこと。』プロデューサーズ

この映画はこんな人におススメ!!

●夫婦の絆を確かめたい人

●深い悲しみを背負っている人

●90年代の雰囲気を味わいたい人

●凛とした心で生きたいと思う人

タイトルぐるりのこと。
製作国日本
公開日2008年6月7日
上映時間140分
監督橋口亮輔
出演木村多江、リリー・フランキー、
倍賞美津子、寺島進、安藤玉恵、
寺田農、柄本明

悲喜こもごも丸ごと愛したいと思った時に観る映画

1993年公開の【二十才の微熱】以来、

約20年間に劇場映画5本という寡作の映画監督、橋口亮輔。

しかしその1本1本が悉く高い評価を受ける、

最も新作を期待されている映画監督とも言える存在です。

日本映画界にも本当に様々な監督が存在しますが、

橋口監督はそのテーマへの斬新な切り口と、

軽妙かつ繊細な演出において他の追随を許さない手腕を持っています。

カット割りや構図に登場人物達の複雑な感情を含ませ、

直接には描かれない部分を想像させる行間的な表現と、

その後の彼等の行く末を暗示させる深い余韻を持たせてくれるのが特徴です。

その人にしか感じる事の出来ない味や色を持った稀有な監督だと思います。

この作品は「夫婦」の間に流れる「時間」の積み重ねを描いた映画です。

丹念にエピソードを積み上げ、それぞれの感情の流れを繊細に描写していきます。

タイトルの「ぐるり」とは生活を取り巻く色んな出来事や人や物を全部ひっくるめたもの。

楽しい事もあれば、勿論悲しい事苦しい事もある。

人生をぐるりと取り囲む様々なちょっとめんどくさい物事が、

時に可笑しく、時に恐ろしく描かれる「生活」についての映画。

赤裸々な悲喜こもごもを包み隠さずに全開する激しさも兼ね備えた、

観る者の心をえぐる作品になっています。

街の片隅の普通の人々

画像引用:©2008『ぐるりのこと。』プロデューサーズ

物語の時代設定は90年代。

映画では当時の世相を思い起こさせる様々な出来事がさり気無く挿入されています。

この物語自体を取り囲む90年代の「ぐるりのこと」。

主人公の若い夫婦の生活も、この時代の空気感という物に周りを取り囲まれていて、

社会通念や、常識、流行やモラルなんかに揺さぶられながら生きているのです。

しっかり者の妻は小さな出版社で編集者をしていて、

飄々とした調子者の夫はひょんな事から法廷画家になります。

この法廷のシーンで90年代に起きた実際の事件を彷彿とさせる脚本は中々秀逸です。

市井の我々も当然時代の影響を強く受けていて、

その生活にも時代の空気は無縁ではありません。

いつの世でも、どこの誰でも、どんな生活を送っていても後から考えると、

凄い時代だったよねと、振り返る感覚の普遍性が巧く物語に組み込まれています。

主人公の夫婦は悲しくも生まれたばかりの赤子を失ってしまうのですが、

それをどういう風に受け止めてその後の人生を送っていくかという所にも、

時代や世代の感覚というものが色濃く影響しています。

当時のバブル社会では「勝者」と「敗者」という二極の価値観が色濃く、

あからさまなマウントが軋轢を生み、

その果てが凄惨な法廷のシーンに暗示として繋がっていきます。

複雑な社会の中で皆がジェットコースターの下降する直前の所で、

互いを疑心暗鬼していた時代。

それぞれの価値観を尊守しようと「多様性」という考え方が言われ始めるまで、

まだ20年程の時が掛かります。

しかしどんな時代だろうが、価値観であろうが、

そこで生きているのは今と変わらない「普通」の人々です。

子を失った夫婦に「時間」というものがじわりじわりと暗い影を覆っていく。

妻を演じた木村多江さんの感情の起伏を表現した演技は鬼気迫るものがあります。

静かに不安と恐怖が心に沈殿していく様。

台詞では無く、あくまでも「生活」の中で自然な形で「ズレ」を表現していく、

橋口監督の演出がエグい位に見事です。

そして妻の精神が擦り減っていく様を間近で見守り続ける夫役のリリー・フランキーさん。

自然体の演技でその場の空気感を見事に表現してしまうセンスが本当に素晴らしいです。

まさかのド定番

今日のおつまみは【茹で枝豆】です。

何の変哲も無い、そう枝豆です。

余りにも定番過ぎて逆に盲点。

今まで登場してませんでしたね。

まぁ、夏ですし。

ビールと枝豆は切っても切れない「夫婦」の様なもの。

そういう事です。

心が雨漏りする日には

画像引用:©2008『ぐるりのこと。』プロデューサーズ

この映画の主演のリリー・フランキーさんと

少しイメージが重なると勝手に思っているのですが、

僕の好きな中島らもさんの傑作エッセイに【心が雨漏りする日には】

というものがあります。

【ぐるりのこと。】を観ていて何故かこのらもさんの秀逸な本の

タイトルがずっと心に思い浮かんでいました。

人生における突然の不幸。

それを前に心が雨漏りしてしまう事は誰にも起こり得ます。

自分を責める事で逃げ場を無くしてしまう事は最も悲しい事だと思います。

それなら人の事を手前勝手に批難し続ける方がよっぽど良いです。

きっとこの映画の夫(カナオ)は妻にとってのはけ口になりたかったのだと思います。

でも器用な人間では無いし、どうすれば良いのかが分からなくて苦しい。

優しい人間同士だからこそ、傷付いていってしまう。

これは本当に悲しい事だと思います。

しかし「時」に圧し潰されそうな二人の間に「変化」を起こすのも

また「時」でした。

ただ愚直に傍に居続けた事で、その大事な「時」を逃す事無く、

二人は心の底からぶつかり合う事が出来たのです。

それは勇気を持って「逃げなかった」という事に尽きるのだと思います。

勿論それですべての問題(悲しみ)が解消する訳ではありませんが、

逃す事の許されない「時」をちゃんと捉まえられたからこそ、

この二人は前に進む事が出来たのです。

それは映画という「作り物」の枠を超えた「重み」を感じるシーンでした。

悲喜こもごも丸ごと愛したいと思った時に観る映画。

冒頭、橋口監督の寡作の話をしましたが、

この【ぐるりのこと。】を発表したあと監督は、

傑作【恋人たち】を発表する迄の七年間を沈黙しました。

その間、監督の心が雨漏りを起こしてしまっていたそうです。

余りに繊細な表現者故に、その心中の葛藤は想像に難くありません。

しかしこうしてまた新たな映画を作り、

今年2024年には更に待望の新作の公開を控えているそうです。

創作の恐怖と自分の人生の「ぐるりのこと」を乗り越えて、

また素晴らしい映画を届けてくれた監督に最大限の敬意を表します。