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こんにちは!ころっぷです!!
今日の映画は【惑星ソラリス】です。
旧ソ連時代に巨匠アンドレイ・タルコフスキー監督が発表したSF作品。
哲学的な表現と美しい芸術性が、
長く語り継がれる傑作として名高い作品です。
この映画はこんな人におススメ!!
●美しいアート作品が観たい人
●難解な映画に挑戦したい人
●自分の感性で映画を観たい人
●死生観に刺激を受けたい人
タイトル | 惑星ソラリス |
製作国 | ソビエト連邦 |
公開日 | 1977年4月29日(日本公開) |
上映時間 | 165分 |
監督 | アンドレイ・タルコフスキー |
出演 | ドナタス・バニオニス、ナタリア・ボンダルチュク、 ユーリー・ヤルヴェト、アナトリー・ソロニーツィン |
頭で理解するよりも心で感じたい時に観る映画
今日は映画ファンの間では超難解作品として有名な、
アンドレイ・タルコフスキー監督の【惑星ソラリス】をおススメします。
中々の難敵なので鑑賞するには覚悟が必要ですが、
あえて理解しようとするのではなく、
ある意味自分なりの解釈で感じ取ることで楽しめる作品だと思います。
勿論ある程度の物語性はあるのですが、
展開や描写が直接的では無く、所謂暗喩的表現に終始するので、
意味を理解しようとすると頭を悩ませるだけになってしまいます。
むしろ目の前の事象に頭を空っぽにして向き合う方が、
その美しさや切なさが伝わってきたりします。
あらゆる芸術は受け取り手側の解釈で完成するものだと思うので、
出来る限り自由な発想で映画を楽しんでいけばいいのだと思います。
映画をアカデミックに論じる人達にとっては、
怒られる考察記事になるかも知れませんが、
えいがひとつまみ風にタルコフスキー作品をご紹介したいと思います。
芸術至上主義と娯楽性
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今作は20世紀最高のSF作家と言われるスタニスワフ・レムの小説
【ソラリスの陽のもとに】が原作になっています。
しかしそのレムはタルコフスキーが作り上げた映画【惑星ソラリス】を
自身の作品とはかけ離れた駄作として大喧嘩になったそうです。
偉大な表現者同士というのは、強烈に惹かれ合うか、
壮絶に拒絶し合うかの両極端になりがちなのかも知れません。
タルコフスキー監督はあくまでも原作小説を枠組みと捉え、
そこに独自の死生観に基ずく物語性と芸術性を埋め込んでいきます。
1979年に発表する【ストーカー】にも踏襲される、
この世とあの世の狭間の舞台装置として、
あくまで道具立てとしてSF作品に材を取った様な気がします。
人間の思考を具現化する不思議な力を持つソラリスという惑星。
その調査と研究をしている宇宙ステーションに主人公のクリスはやってきます。
ソラリスが彼の為に具現化したイメージは10年前に死んだ彼の妻のハリー。
ソラリスは人間の心の奥深くに眠る欲望を具現化し、
支配する力を持っていると言えます。
これは旧ソ連時代の共産主義的支配を連想させるものでもありますが、
もっと言えば人間の根源的な享楽への渇望が読み取れます。
ソラリスの海はそれ自体が意思を持つ有機体という設定ですが、
人間の深淵を写し出す「鏡」の様でもあります。
心の奥深くに閉じ込めたはずの欲望と、
閉鎖的な宇宙ステーションと言う場所で強制的に対峙させられる物語。
それは恐怖と悦楽の白昼夢の様。
スタンリー・キューブリック監督の傑作SF映画【2001年宇宙の旅】の
宇宙船は無機質で人工的な空間でしたが、
この【惑星ソラリス】の宇宙ステーションは雑然とした混沌に満ちた空間になっています。
クラシカルな調度品に囲まれた「図書室」にはブリューゲルの絵画が壁に掛けられ、
レトロな燭台と共に、まるでシャガールの絵の様に空中に浮かぶクリスとハリーの
姿は息を吞む程に美しいシーンになっています。
これらの象徴的なシーンの景色そのものが、
映画を観ている我々のイメージを増幅させ、独自の解釈へと促していきます。
与えられる側であった観客が、自由に映画を創造していく余地を、
この映画は意図的に作り出していると感じます。
それはある意味では最上の娯楽性と言えると思います。
挽肉の魔術師
今日のおつまみは【ボロネーゼ】です。
うちの妻には挽肉の魔術師という異名があります。
やや誇張した表現ですが、挽肉を使った料理に外れはありません。
生トマトとホウレン草をあしらったスパゲッティ・ボロネーゼは、
間違いの無い一品。
アルデンテに茹で上げられた麺がソースと良く絡んで絶品。
炭水化物に対する欲望を具現化した一皿。
圧倒的な食への肯定です。
20世紀に閉じ込められたエンターテインメント
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アンドレイ・タルコフスキー監督がこの映画にどんな意図を込めたのかは、
あらゆる評論家のあらゆる解釈に委ねる事として、
あくまで個人的にはこの映画は希望を感じさせるものであったと思います。
人生に絶望を抱えた人達が、
超越的な現象により生きる意味を見出していく物語だと思います。
宇宙や惑星というギミックがSF然とさせるだけで、
この映画は普遍的な「愛」というものを描いた作品です。
失われたものに対する「愛」。
それは閉じられた後ろ向きの情念とも言えるものですが、
人間が本来持ち得る生への希望は、
何も前向きでなければならないとも言いきれないと思います。
20世紀の世界に閉じ込められた美意識。
そしてエンターテインメントという形を取った人間の欲望。
それはアメリカ主導の資本主義でも、ソ連主導の共産主義でも、
人間を形容する上では大同小異な些細な差でしかないのでは無いでしょうか。
映画の結末は多くの人にとって悲劇的なものと映るかも知れませんが、
主人公の押し殺してきた精神世界の解放と解釈する事も可能です。
全ては受け取り手側に委ねられた主題なのです。
頭で理解するよりも心で感じたい時に観る映画。
映画は時として政治的でラジカルな側面を持っていたりします。
しかし時の洗礼を受け、新たな解釈が可能になる事もまた然り。
アンドレイ・タルコフスキーという20世紀の偉大なクリエイターが
我々に遺した【惑星ソラリス】という難問も、
今の時代に改めて見直してみるとまた違った観点が浮かんできたりします。
映画に何を求めるかは人それぞれだし、時と場合にもよる事でしょう。
またこの作品も映画というメディアの一つの到達点だと思います。
徹底的に閉じた作品ですが、
そこから見える景色で広がる価値観もあるのだと感じさせてくれる映画です。