画像引用:©2006『ゆれる』製作委員会
こんにちは!ころっぷです!!
今日の映画は【ゆれる】です。
2006年公開の日本のサスペンスドラマ作品。
日本を代表する女性監督、西川美和の長編第2作目です。
吊り橋から落下した女性の死は、
事故だったのか殺人であったのか。
最後までゆれる真実を観客に考えされる巧みな構成。
広範な解釈が可能な奥深いドラマ性に、
多くの映画ファンが唸った傑作サスペンスのおススメです!
この映画はこんな人におススメ!!
●兄弟の愛憎劇に興味がある人
●心の闇を覗き込みたい人
●人生の岐路に迷いを感じる人
●自分と向き合いたいと思う人
| タイトル | ゆれる |
| 製作国 | 日本 |
| 公開日 | 2006年7月8日 |
| 上映時間 | 119分 |
| 監督 | 西川美和 |
| 出演 | オダギリジョー、香川照之、 真木よう子、伊武雅刀、蟹江敬三 |
ゆれる心と向き合いたい時に観る映画
一本の映画を鑑賞し終わって、
それぞれ観た人によって感じ方というものは
微妙に違ってくるものだと思うのですが、
この映画はそれが如実に表れる類の作品なのではないかと思います。
所謂、事件の真相というものが、
映画の最後に至るまで確固たる形で明かされない。
更に登場人物達の言動の根拠も安易には示されない。
ストーリーを追う中で、
観る者それぞれが自己の想像力によってそれらを作り上げ、
その人なりの帰着点を見出さなければならない。
つまりはやや難解で取っ付き難い作品であるとも言える訳なのです。
しかしだからこそこの作品は面白い。
簡単に答えが出ないからこそ人を惹き付け、
何度も観たいと思わせる力があるのです。
主演のオダギリジョーは仮面ライダーのイメージから若手演技派俳優へと
ステップアップを遂げた時期で、
軽薄で自意識過剰な弟役を繊細に演じ切っています。
対する兄役を演じた香川照之は歌舞伎の名家に生まれながら、
テレビドラマや映画で演技を磨き、
当時は既にエキセントリックな憑依型俳優として
常に高い評価を集める存在でした。
そんな二人が西川美和という新たな才能と出会い、
見事に化学反応を起こし鮮烈な演技をフィルムに刻み付けました。
その瞬間にしか存在しない輝き、
あらゆる偶然的要素が重なり合い、
一つの伝説的な作品へと結実した、
日本映画史に残る奇跡と呼べる作品となっています。
炙り出される兄弟の愛憎

画像引用:©2006『ゆれる』製作委員会
物語はとある兄弟の愛憎を描いています。
弟の早川猛(オダギリジョー)は東京でカメラマンとして身を立て、
富と名声を手にした自己中心的な成功者。
対する兄の早川稔(香川照之)は家業のガソリンスタンドを継ぎ、
田舎で気難しい父親の面倒を見て暮らす独身者。
実に対照的な二人なのですが兄弟仲は良く、
久し振りに母親の法事で帰省した猛を、
稔が温かく迎え入れる場面から映画は始まるのです。
通常のサスペンスは「謎」を追う人物と、
観客の視点を同一に保って感情移入させていくのですが、
今作では弟の視点に立って兄の行動の謎を追っていると思わせておいて、
その弟の方にも大きな「謎」がある事に突然気付かされる作りなのです。
それが観客の立場としては掛けられていた梯子を急に外された様な、
宙ぶらりんの状態で正に心が「ゆれる」状態に陥らされるのです。
兄弟は一人の女性を伴い昔家族でよく行った渓谷を久し振りに訪れます。
兄の稔が密かに想いを寄せるその女性は、
実は嘗ての弟猛の恋人で、
その前夜にも関係を持っていたのです。
それぞれが心の中に明かせない想いを秘める中、
女性が吊り橋から落下して死んでしまう。
果たしてこれは事故なのか、
それとも一緒に吊り橋を渡っていた兄稔が突き落とした殺人なのか。
裁判で無実を主張する稔。
事故現場にいた弟の猛が証人として証言台に立つのですが、
そこでまさかの兄の殺人を証言するのです。
それまで猛と共に稔の無実を信じていた観客の私達も、
一体何が起こっているのかという心境に突き落とされるのです。
真相はどっちなのか。
そして何故猛は稔の殺人を証言したのか。
そこには兄弟の間に横たわる、
複雑な愛憎の念が深く関与していたのです。
夏野菜の美味さに心もゆれる

今日のおつまみは【夏野菜のカチャトラ】です。
いよいよ夏野菜の季節になってきました。
スーパーでも茄子やズッキーニやトマトが光り輝いて見えます。
食欲減退の酷暑のビタミン補給。
鶏むね肉の旨味をたっぷりと吸い込んだ野菜が兎に角美味い。
キリっと冷えた白ワインとの相性も抜群。
健康と食欲との間で心がゆれる様な時は、
健康的なおつまみで満足感を得れば良いのです。
心の闇にゆれる

画像引用:©2006『ゆれる』製作委員会
この映画は最初に言った様に、
確固たる「答え」を観客に提示しません。
事件の真相がどうであったのか、
そしてこの兄弟の間に横たわる複雑な感情は一体何なのか。
それは結局の所、
観た人間がそれぞれ感じたままに解釈するしか無いのだと、
言わざるを得ない事なのです。
そんな事を言ってしまったら考察もクソも無いと叱られそうですが、
そもそも映画やあらゆる表現媒体はそうであるべきなのだと思います。
勿論、登場人物達の言動の端々には、
どんな感情から何を意図した発言であるかを窺い知る事は可能です。
しかしそれもあくまでも想像の域を超える確証では無く、
兄弟それぞれの本心はやはり想像する事しか出来ないのです。
そして裏を返せばどんな解釈も間違いでは無いという事でもあります。
この映画はそういった観客一人一人がその人生経験や思想から、
様々な解釈を持っても全てを許容出来るような懐の広い普遍性があるのです。
弟の猛が最後まで利己的な兄貴像を稔に押し付けた悲劇と取る事も、
弟の猛に罪悪感を抱かせる為の兄稔による復讐と取る事も可能であり、
「正解」でもあるのです。
互いに自分に無い物を持った相手を憎み、
愛しながらも相手を追い込もうとする兄弟であったのか、
それとも互いの心の傷を理解し合い、
自分が悪者になる事で相手を救おうと足掻いた結果であったのか。
解釈は無限大に存在するのでは無いでしょうか。
難しい物語、分かり難い作品である事は確かですが、
物語を自分の解釈で感じ取っていく為の、
感性を研ぎ澄ますには打ってつけの作品なのでは無いでしょうか。
ゆれる心と向き合いたい時に観る映画。
人は愛する存在である程に、
それに執着しまた憎む事も出来るのです。
自分にとって最も根幹にある愛憎の対象。
それがある意味での悲劇となった心をえぐるサスペンス映画でした。
決して観ていて楽しい作品では無いかも知れませんが、
人間の業を鋭く描いた優れた映画であると思います。



