ヒューマンドラマ映画

映画【アフターサン】おつまみ【海老レモンラーメン】

画像引用:© Turkish Riviera Run Club Limited, British Broadcasting Corporation, The British Film Institute & Tango 2022

この映画はこんな人におススメ!!

●子供時代を思い出したい人

●忘れられない過去がある人

●失ってしまったものと向き合いたい人

●今の自分を前に進めたい人

タイトルアフターサン
製作国イギリス、アメリカ
公開日2023年5月26日(日本公開)
上映時間101分
監督シャーロット・ウェルズ
出演ポール・メスカル、フランキー・コリオ、
セリア・ロールソン=ホール

忘れられない過去と向き合いたい時に観る映画

この作品、個人的にはここ最近で一番好きな映画かも知れません。

特にこのコラムを書く為にじっくりと観直してみて、

その繊細な表現と解釈の自由さに驚かされました。

今作が初監督のシャーロット・ウェルズの自伝的要素を取り入れたストーリーは、

日常のさり気無い機微を丁寧に掬い取った描写に終始していて、

観る者をその場に居合わせる様なリアリティと時間感覚を伴った演出になっています。

映画を観ていて我々は目の前の登場人物に感情移入していく訳ですが、

それと同時に個人的な記憶の中に没入させられる様な、

実に身に迫る体験をさせてくれる映画だと思います。

人は誰しも「忘れられない過去」があるもの。

普段はそれに無意識で生きていますが、

こういった疑似体験を通してふとその時の記憶の蓋が開いたりして、

当時では気付けなかった事に思い当ったりするのが、

芸術作品の効能の一つであると言えます。

映画【アフターサン】には悲しい予感や、

過去と向き合う事の苦しさも描かれていますが、

そこから一歩前に踏み出す為の、

思索の前進をそっと促してくれる力が込められた作品であると思います。

退屈な日常、一瞬の感情

画像引用:© Turkish Riviera Run Club Limited, British Broadcasting Corporation, The British Film Institute & Tango 2022

物語はある父娘のひと夏のバカンスを描いています。

若い父親のカラムは31歳の誕生日を迎えるタイミング。

11歳の娘ソフィは子供と大人の過渡期にあり、

両親は既に別れています。

そして二人の思い出の旅を記録したビデオテープを大人になったソフィが

見返しているというシーンも途中途中に挿入され、

もう既に過ぎ去ってしまった時間を慈しむ切なさが映画の全篇に溢れています。

この父娘の何気ない会話や他愛の無いやり取りが終始映し出されるのですが、

二人の近付いたり遠ざかったりする距離感が実にリアルで、

父親が何かに葛藤して苦しんでいる様子や、

寂しさや自分の感情の発露の仕方が分からずにイラつく娘の姿が、

観ている私達にとっては嘗ての自分の姿を見る様に

身に詰まされる描写になっているのです。

監督のシャーロット・ウェルズにも兄弟に間違われる様な若い父親がいて、

16歳の時にその父親を喪っているという事実が、

映画に言葉以上に伝わってくる実在感を与えています。

この映画で特徴的だと感じたのは、

会話の中に答えが与えられない問いが宙ぶらりんのまま放置されるという点。

映画は言わずもがな作り物ですから、

ストーリーの進行に影響の無い描写は余り差し込まないのが定石ですが、

この作品には片方が尋ねた事に答えが与えられない事が多いのです。

それは観客に混乱をきたす可能性も孕んでいるのですが、

考えてみれば私達の人生に於いて答えというものはそう容易には与えられないものです。

だからこそ分からない事をいつまでも考え続け、

時にそれは生涯に渡る謎になったりもするのです。

そして語られなかった言葉にこそ、

往々にして真実がある。

人生はご都合主義には出来ていない。

ソフィも与えられなかった答えを探して、

カラムがあの時何を考え、何を感じていたのか。

その永遠に答えの出ない問いを反芻し続けるのです。

それはとても過酷で辛辣なことにも思えますが、

自分にとって何よりも大切な問いだからこそ、

人はその答えを探し続けるものだという事なのかも知れません。

子供時代には退屈な日常は永遠に続くものの様に見えました。

しかし大人になって振り返ると、

あの一瞬の中にあった感情が掛け替えの無い物であったことに気が付くのです。

それは胸が張り裂ける程に切ないものでもありますが、

人生に於いて何よりも美しい瞬間でもあるのです。

ひと夏の思い出の味

今日のおつまみは【海老レモンラーメン】です。

暑い日にありがたい冷製ラーメン。

レモンの酸味と香りがさっぱりとした食感となった一皿。

ボイルした海老と茹でササミを豪華にトッピング。

小葱と大葉と三つ葉の薬味をたっぷりと乗せて、

冷たいビールと供に流し込めば、

猛暑も何とか乗り越えられる気がします。

ひと夏の切ない父娘の映画を観ながら、

さっぱりとした清涼感を味わう。

今年の夏の思い出に残る一品でした!

記憶の不鮮明な感触

画像引用:© Turkish Riviera Run Club Limited, British Broadcasting Corporation, The British Film Institute & Tango 2022

若い父親には誰にも説明の出来ない心の闇を抱えていました。

彼自身にもそれが何なのか分かっていなかったのかも知れません。

幼い娘にもそれが何であるかは勿論分かりませんが、

それがある事は本能的に悟っているのです。

ソフィは父親と同じ年齢に差し掛かって、

あの時の父親の感情を記憶の中から引っ張り出そうと試みます。

しかし記憶という物は常に曖昧で、

日常の積み重ねの中で如何様にも変容し、

真実という物は不確かなままで霧散してしまいます。

かつて芥川龍之介は友人宛ての遺書に、

「唯(ただ)ぼんやりとした不安」という言葉を残しました。

人には或いはこのぼんやりとした不安という物が初期設定されているのかも知れません。

それは場合によっては生きる力にもなり得る要素となったのかも知れません。

しかし人はどこまでも一人であり、他人には分からないもの。

そこに私達は最も刹那の虚しさと、

しかしながら生きる事への渇望を見出すのでは無いでしょうか。

カラムは心から娘のソフィを愛し、

自分の人生を全うしたいと思っていました。

しかし同時に何もかもに絶望していて、

年月を重ねる事に恐怖を感じてもいました。

矛盾する互いの思いが葛藤を生み、

人生の辛辣な刃によって二人は永遠に分かつ結果になってしまいます。

ビデオテープに残る過ぎ去りし日々の記憶の中に、

父親の憂鬱の正体がある訳ではありません。

しかし大人になったソフィにとっては、

掛け替えの無い時間がその空気ごと封じ込められているのです。

忘れられない過去と向き合いたい時に観る映画。

過去が今の自分に教える事。

それは未来を作るのが今の自分だけであるという当たり前過ぎる真実。

苦しさの中から一歩を踏み出す事を、

この映画で実践し観客に勇気を与えた監督のシャーロット・ウェルズの想いが、

深い余韻としていつまでも私達の心に残るようです。