画像引用:© 1999 – EL DESEO – RENN PRODUCTIONS – FRANCE 2 CINEMA
こんにちは!ころっぷです!!
今日の映画は【オール・アバウト・マイ・マザー】です。
1999年に公開されたスペインのドラマ作品です。
監督・脚本はスペインを代表する名匠ペドロ・アルモドバル。
今作品は第72回アカデミー賞に於いてスペイン映画初の、
外国語映画賞を受賞しました。
更に第52回カンヌ国際映画祭ではペドロ・アルモドバルが監督賞を受賞。
多くのものを失い、傷付きながらも強く生きる女性達を描き、
人間の逞しさを極彩色の美しい映像で表現しています。
この映画はこんな人におススメ!!
●ジェンダーを越えた友情と愛情を体感したい人
●極彩色の美しい映像が観たい人
●深い悲しみに今まさに打ちひしがれている人
●生きる喜びを感じたい人
| タイトル | オール・アバウト・マイ・マザー |
| 製作国 | スペイン |
| 公開日 | 2000年4月29日(日本公開) |
| 上映時間 | 101分 |
| 監督 | ペドロ・アルモドバル |
| 出演 | セシリア・ロス、マリサ・パレデス、 ペネロペ・クルス |
喪失感を乗り越えたい時に観る映画
スペインが誇る世界的巨匠監督のペドロ・アルモドバル。
彼の映画の特徴と言えば大胆な極彩色の色使い。
そして強い女性を描かせたら右に出る者がいません。
この代表作【オール・アバウト・マイ・マザー】も、
正にアルモドバル節が全開の作品になっています。
今作で印象的なのは登場人物達の衣装に見られる燃えるような「赤」。
情熱的な女性を象徴し、主要登場人物の全員に「赤」の衣装を纏わせています。
スペインという国を象徴するようなこの「赤」が、
映画を観終わった後でも瞼の裏に張り付いたように残ってるのです。
今作に登場する女性達は皆悲しみを背負い、何かを失ってしまっています。
絶望的な状況に打ちひしがれ、途方に暮れています。
しかし彼女達は僅かずつの優しさを分け合い、
誰かの変わりに自分に出来る事をする事によって助け合っていくのです。
この生命力溢れる人間描写がアルモドバル監督の真骨頂。
不幸にまみれた物語なのに暗くならない。
勿論悲しいシーンや胸が張り裂けそうな焦燥感を感じさせられたりするのですが、
そこに確かな人間愛が描かれていて、観客の感情の底を支えてくれるんです。
そしてそれが私達の感情を浄化してくれてとても澄んだ余韻を与えてくれます。
かなり個性的な世界観を持った作家ですが、
一度ハマれば全作品観たくなるような中毒性の高い映画監督なのです。
悲しみを寄せ合い生きていく

画像引用:© 1999 – EL DESEO – RENN PRODUCTIONS – FRANCE 2 CINEMA
物語は冒頭から衝撃的な幕開けとなります。
病院で臓器移植のコーディネーターとして働く主人公のマヌエラ。
彼女はシングルマザーとして作家志望の一人息子エステバンと暮らしています。
しかしある日二人で舞台を観劇したその帰り道に、
息子のエステバンが目の前で車に撥ねられ死んでしまいます。
深い悲しみと絶望に打ちひしがれたマヌエラは、
息子の死を嘗ての別れた夫に報せる為にバルセロナに赴きます。
この辛すぎる現実をアルモドバルは淡々と流れる様に描写していきます。
劇的で過剰な演出では無く、人生の一場面として多くを省略し行間を想像させる演出。
悲しみも喜びも自然の風景の様に目の前を過ぎていき、
そこにある生活の匂いや温度を実にリアルに描いていくのです。
そしてマヌエラはバルセロナで個性豊かな女性達と出会います。
嘗ての友人でトランジェンダーの娼婦であるアグラード。
慈善活動に熱心で裕福な家庭から飛び出したシスター・ロサ。
著名な舞台女優で間接的にエステバンの事故の原因にもなってしまった女優のウマ。
この女性達との出会いがマヌエルに生きる希望を与えていくのです。
「友情」であるとか「愛情」であるとかの言葉で表現出来ない関係性。
互いに足りない部分を補い合い、
真っ当に生きる事だけが「幸せ」なのでは無いという、
彼女達の生き様は何か人間としてとても大事な部分を図らずも表現しているかの様。
アルモドバル監督の女性描写のさり気無さと敬意を持って描いている姿勢が、
本当に伝わってきて素晴らしい所です。
ありのままのおつまみ

今日のおつまみは【茄子のしぎ焼き】です。
先日久し振りに訪れた浅草の天丼屋さんでこの茄子のしぎ焼きを食べて、
とても美味しかったので妻が見様見真似で再現してくれました。
ちなみに茄子に塗っている味噌も妻の手作り味噌です。
濃厚な旨味は日本酒が合いますね。
悲しみや惨めさを抱きしめるという事

画像引用:© 1999 – EL DESEO – RENN PRODUCTIONS – FRANCE 2 CINEMA
1998年にこの世を去った、
X JAPANのギターリストhideの曲に「MISERY」という曲があります。
この曲のサビの歌詞で「Stay free my misery」と繰り返されるのですが、
直訳すると「自分の惨めさから解放され続ける」という様な感じになります。
これは生きる上で感じる惨めさや悲しみをそのままに受け入れて、
そこから解き放たれる事を願う様なリフレインとして響きます。
今回この映画を改めて見直してみて、
どこかこの曲のテーマと共通している様な気がしました。
自分の身に降り注ぐ悲しみを全て受け止めて、
いつしかその傷が癒える日までただありのままに生きていく。
主人公のマヌエラが人から受けた優しさを、
他の誰かに分けていくその姿に、
悲しみを背負った人間のひたむきさを感じるのです。
この映画の登場人物達は皆情愛に溢れた人物達で、
それ故に裏切られ、傷付いてしまいます。
しかしそれを怖れて誰とも交感しない人生を選ぶよりも、
進んで痛みを受けそれを生きる活力にさえしてしまうしたたかさ。
それがアルモドバルの描くスペインの女性像の様な気がします。
彼女達は「持たざるもの」故に、
人の痛みを理解し、同情し、時に我が身を顧みずに尽くそうとします。
それは生まれながらの母性。
母なる愛情が深い悲しみにさえ光を射す。
一人では越えられない悲しみを、
寄せ合って少しずつ太陽の元に溶かしていく。
いつの間にか映画を観ている私達の不安や悲しみさえ軽くなっている。
映画には時にそんな力が宿る事もあるのです。
喪失感を乗り越えたい時に観る映画。
人は誰しも安寧な幸福を求めるものです。
しかし生きている限り悲しみや不安から解放される事も無い。
またそれを怖れて何にも触れようとしなければ、
痛みも無いが喜びも生まれて来ない。
アルモドバルの映画の女性達が美しく輝く様に生きているのは、
悲しみごとあるがままに受け止めた力強さが、
その姿を明るく照らし出しているからに違いありません。
喪失感に苛まれた様な時、
この映画を思い出してそっとバルセロナの街並みに足を踏み出してみて下さい。
きっと体を包む幸福感を持てるかと思います。



