SF映画

映画【トゥモロー・ワールド】おつまみ【蕪のそぼろあんかけ】

画像引用:IMDb

この映画はこんな人におススメ!!

●暗いSF作品が好きな人

●あまり評価されていない隠れた名画を発掘したい人

●圧倒的臨場感の映像を体験したい人

●人類の未来を憂う人

タイトルトゥモロー・ワールド
製作国イギリス、アメリカ
公開日2006年11月18日(日本公開)
上映時間109分
監督アルフォンソ・キュアロン
出演クライヴ・オーウェン、ジュリアン・ムーア、
マイケル・ケイン、キュウェテル・イジョフォー

人類の希望とは何かと考える時に観る映画

昨今のSF映画に於いて既にスタンダードになってしまった感のある、

「世界の終わり」設定。

この映画もその例に漏れず、人類の繁殖能力の欠如という「終末」を描いています。

新たな生命を産み出せなくなった人類を待ち受けるのは「絶滅」です。

具体的な理由には言及しませんが、環境問題などの多くの要因がある様に匂わせています。

一体いつの頃から人類の「明るい未来」は失われたのでしょうか?

SF映画の多くはあらゆる人類の危機的状況を描写し、

それを打開する為に行動すべきという啓蒙的な役目を持った作品で溢れています。

これはグローバルスタンダードとしての認識。

今そこにある危機は公然の事実という事なのでしょう。

もはや我々に夢を見る事は許されておらず、

やがて来る危機に備えた知識と心構えが必要という訳です。

コロナウィルスやウクライナ侵攻、イスラエルの軍事衝突や天変地異。

現実世界に於いても、人類は山積する難題の前に立ち尽くすのみとなっています。

来るべき未来、人類の希望とは一体何なのか?

この映画は凡そSF映画らしからぬリアルな描写の積み上げによって、

深い余韻を抱かせ強烈な問題提起を投げ掛けます。

最早映画史における伝説として語り継がれている、

クライマックスにおける6分間の長回しカット。

その圧倒的な臨場感を持って、監督が我々に体験させたかった事。

それがこの映画の掲げる命題を説くヒントなのかも知れません。

徹底的に追い詰められる人類

画像引用:IMDb

物語設定は2027年のロンドン。

もうすぐそこにある近未来です。

映画公開当時でも20年後の未来という設定でした。

人類は18年前に誕生した生命を最後に、繁殖能力を失いました。

これは環境問題とか戦争とかを待たずして、

確実に100年後は人類は滅びているという分かりやすいロジックです。

通常の物語作りでは当然、この問題をどう解決するかというベクトルに向かうはずですが、

監督のアルフォンソ・キュアロンにそんなつもりはありません。

彼は徹底してリアルな現実だけを描写していきます。

どこかのヒーローが体制に立ち向かい、劇的な活躍で世界を救う事も無く。

世界が一致団結して、画期的な解決策を生みだす訳でも無く。

混乱と、分裂と、排除。

成す術無く、無駄な対立と殺し合いに血が流されていきます。

これは監督の意地悪でシニカルな視点によるものでしょうか?

残念ながら、それは一番リアリティのある人類の姿だからなのでしょう。

移民問題に対する各国の対応。

コロナ時の世界の反応。

ウクライナ侵攻に於ける国際社会の行動。

それは追い詰められるべくして、追い詰められる人類の、

極々普通の価値観に立った現実認識と言えるのでは無いでしょうか?

この映画を観て、人類の危機に対する明確且つ具体的な対策が示されない事への不満を

覚える観客も少なくないと思います。

映画に「答え」を、表現に「意味」を欲しがる人達の常です。

しかし、映画には想像力を駆使してリアリティを描写するという意義もあるのです。

アルフォンソ・キュアロンの途方も無い映像的チャレンジの着地点は、

世界の惨状にリアリティを感じられない位に情報の中で溺死寸前になってしまった我々に、

「痛み」を思い出させるスタートラインへの回帰だったのだと思います。

追い詰められているのは他でも無い、我々なのであるという「痛み」です。

人類のほっこり

今日のおつまみは【蕪のそぼろあんかけ】です。

人類の危機を観ながら、ほっこりとした温もりに包まれています。

「蕪」と聞いて思い出すのはやっぱりロシア民話の「おおきなかぶ」ですね。

おじいさんがおおきなかぶを引き抜こうとしても抜けない。

ばあさんを呼んでも駄目、孫娘を呼んでも駄目。

それから犬や猫や鼠を呼んでやっと引っこ抜くというあの話です。

皆で力を合わせないと大事は成し遂げられないという道徳的なお話ですが、

「うんとこしょ、どっこいしょ」という掛け声の音読が何より魅力の作品です。

人類の危機も何とか力を合わせて「うんとこしょ、どっこいしょ」と

引き抜きたいものだと思いました。(うん、強引でしたね)

神の沈黙

画像引用:IMDb

この映画の最大の魅力は何と言ってもクライマックスの6分間の長回しでしょう。

厳密にはワンカット撮影では無く、

繋ぎ目がまるで分らない様に編集されたシーンなのですが、これが本当に

信じられない様な迫力と臨場感なのです。

古くはスタンリー・キューブリック監督の【フル・メタル・ジャケット】や、

スティーブン・スピスルバーグ監督の【プライベート・ライアン】。

近年でもサム・メンデス監督の【1917】などで迫力の戦場シーンは観る事が出来ます。

しかしこの作品の戦闘シーンの複雑に絡み合う人々の動きの方向性。

刻一刻と変化する状況の描写。役者の演技。映像の情報量。

あらゆる技術が飛び抜けていて、観客を映画の中に引きずり込んでいくのです。

この映画が徹底した描写による疑似体験化。

SF作品とは兎角設定のディティールと映像のインパクトでそのリアリティを表現しますが、

体験としての臨場感に勝るものは無いのではないでしょうか。

この映画に用意された唯一の希望的メッセージは新たな生命です。

あらゆる対立と憎しみが惨劇を繰り返す中、

その運命の子供は戦場に「沈黙」をもたらせます。

主人公の介添えで産み落とされた人類の希望は、

その後世界を救う鍵となるのかは分かりません。

しかし、我々の祈りに対して神は常に「沈黙」を返す様に、

「希望」自体は未知のままで我々の未来を暗示するのです。

人類の希望とは何かと考える時に観る映画。

このSF映画は我々に静かに問い掛けます。

この世界は生きるに値するものなのか?

新たな生命を生み出す場所として相応しいものなのか?

その「答え」はこれからの人類の行動に懸かっているでしょう。

嘗てないリアリティを表現した天才監督のSF作品は、

前時代から続く普遍的な命題を痛烈に表現した重厚な物語でした。

「明日への希望」は常に「今と言う現実」の上にあるという事。

法の矛盾や政治の腐敗など何だか些末な問題に思えてくるから不思議なものです。