アニメーション映画

映画【風立ちぬ】おつまみ【ねぎま】

画像引用:©2013 二馬力・GNDHDDTK

この映画はこんな人におススメ!!

●スタジオジブリのファンの人

●飛行機が好きな人

●昭和初期の日本を味わいたい人

●如何に生きるべきか考えたい人

タイトル風立ちぬ
製作国日本
公開日2013年7月20日
上映時間126分
監督宮崎駿
出演庵野秀明、瀧本美織、西島秀俊、
西村雅彦、風間杜夫、野村萬斎
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それでも生きねばと奮い立ちたい時に観る映画

今作のキャッチコピーは「生きねば」。

1997年公開の【もののけ姫】の有名なキャッチコピー「生きろ」に対し、

時代と価値観の変化したより切実なテーマを端的に表現した言葉になっています。

今作は冒頭の関東大震災から始まり、

やがて太平洋戦争に突入していく混乱の時代を舞台としています。

明日の見えない長く険しい生活の中で、

多くの困難と悲しみに打ちひしがれた人々が、

それでも微かな希望を失わずに歯を食いしばって生きた時代。

そこに相応しいのは「生きろ」という受動的な命令形の言葉では無く、

「生きねば」という主体的な意思を持った言葉なのです。

長いキャリアを誇る宮崎駿監督が、

その試写で「初めて自分の作品で泣いた」と語った今作品。

飛行機好きの宮崎少年の夢を描き、

戦争を描き、

人が何の為に生きるべきか、

もしくはこの世界が如何に生きるに値するものであるのかを、

実に真摯に、時にユーモラスに描いたオリジナリティ溢れる映画です。

堀辰雄の同名小説をタイトルにしていますが、

物語は完全にオリジナル。

いつもの冒険活劇とは違うリアリティの世界で展開し、

史実や実在の人物に材を取り、

歴史的な素養も重要なモチーフとして描かれる。

今作で一旦引退を宣言した宮崎監督の、

正に集大成として相応しい自身の人生観を注ぎ込んだ力作であった事は、

間違いない事実であると思います。

スタジオジブリのファンは勿論、

日本映画にとっても、芸術分野に於いても、

避けて通る事の許されない歴史的傑作である事は間違いありません。

人として生きるという事

画像引用:©2013 二馬力・GNDHDDTK

人間と言う生き物は言わずもがな社会で生きるものですから、

動物と比べその役割としての存在価値がどうしても表立って映ってしまいがちです。

どんな職業に就き、

どんな思想を持ち、

何を望み、何を成すか。

映画芸術に於ける人を描くという事は、

そこに尽きる部分が大きくなっていきます。

今作の主人公・堀越二郎は天才的な頭脳を持った飛行機の設計士で、

太平洋戦争を前に急ピッチで開発されていた戦闘機の発展に尽力し、

当時世界最高レベルの能力を有した所謂「零戦」と呼ばれる戦闘機を設計しました。

それが堀越二郎という人物の役割であり存在価値です。

しかしこの映画にはもう一つの堀越二郎が描かれています。

それは運命的な出会いの末に里見菜穂子という一人の女性を愛し、

彼女の病気の快復を願うも為す術を持たず、

残酷にも死なせてしまう罪を背負った男。

生きる為に矛盾を抱え、

自らの理想の為に人生を投げ出す男。

こう書くと冷酷無情な人間の様に映ってしまいますが、

そもそも人間という生き物はそう出来ていて、

モラルでは語れない深い業を背負った存在なのです。

純粋な飛行機への憧れも人を殺す戦闘機の開発に繋がり、

二人の純粋な愛情も激しく燃える事で刹那に尽きて灰に帰してしまう。

宮崎監督の描く「生きねば」という問い掛けは、

そんなあらゆる業苦を越えた正に究極のエゴイズムとしてのみ存在し得る、

それでも生きねばならないという血の滲む様な決意に他ならない。

つまり人として生きるという事は、

漫画やアニメの絵空事のカタルシスなどとは掛け離れた、

どこまでも惨めで汚らしく情け無い姿そのものであるという事。

その痛みに耐える覚悟無くして体感する事の出来ない終わりの無い責め苦。

その果てに微かに光る僅かな喜びの様な温もり。

その為だけに全てを投げ出した愚かな聖人の物語なのです。

冬の滋養

今日のおつまみは【ねぎま】です。

実は少し体調を崩して熱を出して寝込んでいたので、

妻が滋養の為に串打ってくれていました。

ねぎは昔から風邪に効くと言いますので。

本当はこれでキンキンに冷えたビールと言いたい所なのですが、

ぐっと堪えて禁酒の日々です。

こうなると本当に健康の有難みが分かります。

皆様もご自愛くださいませ。

人は「今」を生きねばならない

画像引用:©2013 二馬力・GNDHDDTK

100年前の偉人達が、

100年後の未来の為に生きていたか?

彼等の偉業は確かに今も形として残ったり受け継がれたりしているが、

彼等の人生はその時に美しく完結している。

人は過去でも未来でも無く、

「今」を生きねばならない。

その時何をするか。

後先の事は誰にも分からない。

それ故に「今」出来る事の全てを全力で傾ける事が出来る。

「夢」を叶える事は同時に「罪」にもなり得る。

堀越二郎も、オッペンハイマーも未来を生きる事は出来ない。

しかしそれが「罪」であるとそもそも断罪出来る人間などいない。

例えヒトラーに対してであっても、

その思想と行為とを同視する訳にはいかない。

あらゆる芸術家は自己矛盾というジレンマと付き合い続けなければならない。

作品を作る事で自らに向けられた矛に必死で盾突く。

その繰り返し。宮崎監督もおそらくその連鎖の中に商業的成功すら組み込んでいる。

この映画は直接的に「戦争」を描いていないが、

堀越二郎という男の生き方そのものによって強い「反戦」ムードを醸している。

それは宮崎監督自身のフィルモグラフィにも向けられた自戒の念でもある。

子供達に強い影響を与えてきた自らの作品群が、

未来に何を成すのか。

「今」を生きる事でか完成しなかった【風立ちぬ】という映画が、

私達の未来に何をもたらすのか。

宮崎駿というクリエイターが作り、

そして壊した日本の伝統と価値観。

恐ろしいまでに自分に厳しい監督だからこそ、

引退を撤回して【君たちはどう生きるか】に繋がった。

この【風立ちぬ】は間違いなく宮崎駿の最高傑作だと思う。

それでも生きねばと奮い立ちたい時に観る映画。

これ程カッコ悪くて、潔い主人公は他にいない。

こんな青年に憧れない人などいるだろうか?

現代のコンプライアンスに照らせば完全にアウトな人間。

だからこそ常に「今」を生きている永遠の我々なのだ。