画像引用:©疾走プロダクション
こんにちは!ころっぷです!!
今日の映画は【ゆきゆきて神軍】です。
1987年公開の日本のドキュメンタリー映画。
太平洋戦争の帰還兵・奥崎謙三の戦争責任を追及する旅。
時には暴力行為も厭わない凄まじい熱量で暴れ回る被写体に、
肉薄したカメラが映し出す虚構と現実。
日本映画史上、最大の問題作のおススメです!
この映画はこんな人におススメ!!
●強烈なドキュメンタリーが観たい人
●太平洋戦争について知りたい人
●正義とは何か考えたい人
●現実と虚構の境を感じたい人
タイトル | ゆきゆきて神軍 |
製作国 | 日本 |
公開日 | 1987年8月1日 |
上映時間 | 122分 |
監督 | 原 一男 |
出演 | 奥崎謙三 |
カメラの向こうの真実を目撃したい時に観る映画
今作は日本のドキュメンタリー映画を語る上で避けては通れない最重要作品です。
観る者に経験の無い様な緊張と嫌悪感を抱かせ、
尚も強烈に惹き込んでいく悪魔的なカリスマ性を持ち合わせる被写体。
田原総一郎に憧れ、今村昌平の知遇を得て1972年に【さよならCP】という作品で
デビューしたドキュメンタリー監督・原一男が映し出した、
日本映画史上最強の被写体・奥崎謙三とは一体何者であったのか?
筋書きの無い事実のみを映し出すという前提に立つドキュメンタリーにあって、
これ程迄に自己演出的な被写体でありながら強烈なリアリティも併せ持ち、
圧倒的なキャラクターで伝説となった奥崎謙三という男。
彼の死から20年以上が経った今、
改めて今作を観直してみてもその苛烈な論法と暴力も厭わない執念には圧倒されます。
凄惨を極めた太平洋戦争に於いての地獄とも言える南方戦線。
公開当時でさえ戦後40年近くが経っていて、
戦争の記憶も薄らいできていた中で、
嘗ての上官達の元に戦争責任を追及する為に乗り込んでいくという衝撃の内容。
そこで次第に明らかになっていく陰惨な戦争犯罪の事実。
まるで未解決事件を追うサスペンス映画の様な息を吞む展開と、
執拗に相手に詰め寄る奥崎の鬼気迫る形相。
そこには人間の剥き出しの感情が記録されていて、
今日の観客にも充分衝撃を与えるべく力が宿っています。
目の前で起きている事象に対して冷静にカメラを向ける原一男の信念もまた、
ドキュメンタリー作家でありながらドキュメンタリーの虚構性を暴く行為にも繫がり、
人間の根源的な欲望にまで迫った革新的な作品になっています。
戦争によって狂わされたもの

画像引用:©疾走プロダクション
「ジャワは天国、ビルマは地獄、死んでも帰れぬニューギニア」
太平洋戦争末期に於いて遥か南方の地で連合国軍と戦った日本軍は、
食料補給路を断たれ疫病の蔓延もあり、
直接の戦闘では無く多くの兵士が餓死や病死したという。
そんな凄惨な戦地から命からがら生還した奥崎健三は、
戦後バッテリー商や自動車整備などの稼業で生活をしていたが、
金銭トラブルによって不動産業者を刺殺し10年の独房生活を送る。
そんな中で戦時中に無惨な死を遂げていった戦友達の無念を晴らすべく、
国や天皇や嘗ての上官達の戦争責任を問う思想と活動に憑りつかれていく。
この映画で奥崎が執拗に追及したのが、
終戦後のタイミングで起こった上官による部下射殺事件。
この事件で処刑され二人の兵士の遺族と共に、
元隊員達の元へ赴き真相を追求するという内容になっています。
我々戦争を知らない世代の人間にとっては、
政治的背景や戦争の経過を知る事は出来ても、
それを実際に経験した人達の思いに触れる事は非常に難しい。
それぞれの立場にあった人達がどんな考えを持って戦争というものと向き合ったのか。
混乱の中であったとは言え非人道的な行為に関わった本人達が、
戦争の狂気を語る姿は実に衝撃的な光景です。
こんな地獄の様な体験をほんの数十年前の世代の人達が経験しているという事実。
ただその事に圧倒されてしまうのです。
決壊が崩れてひとたび濁流に吞まれてしまえば、
普通の人々がいとも容易く狂気に振れてしまう。
改めて戦争というものが如何に無益なものかと考えさせられます。
国がナショナリズムに傾倒した時、
それを阻む事は並大抵の事では無いと思います。
一人一人が自分事として考えねばならない事だし、
奥崎謙三の様な人生を送る者を二度と出してはいけないと思います。
彼が加害者なのか被害者なのかという事では無く、
誰もが彼に成り得るという事実を、
もう少し真剣に考える必要があるのでは無いでしょうか。
おつまみの真実

今日のおつまみは【豚バラと茄子のらっきょう炒め】です。
すっかり秋めいてきた今日この頃。
季節の変わり目のちょっと体調がイマイチな時、
身体を立て直してくれる滋養回復おつまみとなる一品です。
豚バラのビタミンと茄子や蓮根の食物繊維。
そして隠し味のらっきょうの醤油漬けがスタミナをつけてくれます。
さっぱりとした酸味を感じられる味付けで、
食欲不振にも効いてくれます。
強烈なドキュメンタリー映画で心身共に疲労した折、
身体に優しいメニューで体力回復させて頂きました。
それは演技であったのか、狂気であったのか。

画像引用:©疾走プロダクション
映画の撮影時で既に戦後から40年近くが経っていたタイミングで、
元兵士達の戦争責任を追及するという言動自体が、
考えようによっては常軌を逸していると思ったりもするのですが、
奥崎謙三という人物を突き動かしている使命感は、
完全に私利私欲から離れたものだったのであろうかと疑問に思ったりもします。
彼がこの【ゆきゆきて神軍】という映画に取り上げられなかったとしても、
同じ様に行動していたのか。
カメラがひとたびその人を被写体と定めた瞬間に、
その被写体は既に自然摂理から逸脱し演技者と成り果てる。
奥崎謙三という人物は自分がどう映るのか、
どう評価させるのかを非常に気にしていたという一面があったそうです。
戦争責任を追及する一兵卒としての使命を持っていた事は事実でしょうが、
妄想的に頭の中で膨れ上がった理想郷の主人公として、
熱に浮かされ狂信的になっていった所がある様に感じます。
功名心や承認欲求。
人間として根源的な生理的な欲望。
そんな人間としてのリアリティを炙り出した所にこの映画の凄さがある様な気がします。
映画中盤で神戸の拘置所前で警備員と奥崎が揉めるシーンがあるのですが、
この撮影が終わった後に奥崎は監督の原に向かって、
「今の演技はどうでしたか?」
と言ったそうです。
このドキュメンタリーにしか存在しない類の虚構性にこそ、
人間の本質が隠されているのだと思います。
カメラの向こうの真実を目撃したい時に観る映画。
真実とはノンフィクションという意味ではありません。
この映画に収められたシーンの全ては実際に起こった事ですが、
人間が故意に起こした事でもあるのです。
どんなドキュメンタリー作品にも当然ながら作り手の作為があります。
事が起きる前からカメラは廻していなければならないのです。
そしてそれを作為の元に編集し観客に委ねる。
真実とは私達の解釈の中にこそ、無限通り存在する訳です。
それを受け取った以上、
自分だけの真実と向き合う義務がそこには生じるのです。
それは望む望まぬに関わらず、
優れたドキュメンタリー作品が我々に要求する代償なのです。