画像引用:©2003, Focus Features all rights reserved
こんにちは!ころっぷです!!
今日の映画は【ロスト・イン・トランスレーション】です。
2003年公開のアメリカの恋愛映画。
全篇日本でローケーション撮影された今作は、
ミドルエイジクライシス(中年の危機)のハリウッド俳優と、
カメラマンの夫の付き添いで日本を訪れた孤独な女性との、
アンニュイな交流と淡い恋を描いた
静かな余韻に浸れる恋愛映画になっています。
この映画はこんな人におススメ!!
●大人の恋愛映画を観たい人
●東京の夜を感じたい人
●孤独に浸りたい人
●夜明けを待っている人
| タイトル | ロスト・イン・トランスレーション |
| 製作国 | アメリカ、日本 |
| 公開日 | 2004年4月17日(日本公開) |
| 上映時間 | 102分 |
| 監督 | ソフィア・コッポラ |
| 出演 | ビル・マーレイ、スカーレット・ヨハンソン、ジョバンニ・リビシ、アンナ・ファリス |
一時の気の迷いに身を委ねたい時に観る映画
映画の名門一家に生まれた者の業。
巨匠フランシス・フォード・コッポラの娘であり、
ニコラス・ケイジやジェイソン・シュワルツマンの従妹。
今作の監督・脚本を務めたソフィア・コッポラにとって、
その名は大きなプレッシャーとして常に付きまとっていた筈です。
そんな彼女が偉大な父親とは全く違ったアプローチの
映画制作で評価を集めてきた事は特筆に値する事でしょう。
今作で第76回アカデミ―賞に於いて脚本賞を受賞したソフィア・コッポラは、
今やコッポラという名の傘の下から這い出し、
独自の世界観を持った映画作家として確固たる地位を築き上げました。
そんな彼女の出世作がこの【ロスト・イン・トランスレーション】なのです。
フォトグラファーやファッションブランドで活動していた若い時期に、
彼女は頻繁に東京に滞在していたことがあって、
その経験がこの作品の着想になっているそうです。
言語、文化、価値観の全く異なる異国の地で、
真意の通わないもどかしいコミュニケーションの中にある、
悲しみと可笑しみをポップに描いた今作。
それが近しい人間関係の中でも
同じ様に感情のすれ違いから孤独に陥る都会の人間達。
どこか欠落した者同士が偶然出会い、
一時の気の迷いの中で一瞬の輝きを手に入れる。
そんな切なく儚い、
恋愛にも満たない感情の機微を描いた恋愛映画になっています。
異国の空の下で

画像引用:©2003, Focus Features all rights reserved
物語の主人公であるボブ・ハリス(ビル・マーレイ)はハリウッドの大物俳優。
彼はウィスキ―のCM撮影の為に日本にやってきました。
どうやら彼は自身のキャリアに陰りを感じていて、
言葉も通じない辺境の土地で、
やりたくも無い仕事の為に不自由なホテル暮らしをする事に、
辟易としている様です。
このステレオタイプ的に作り上げられたキャラクターが、
英語もまともに喋れない日本人達の不可解な言動を
揶揄する様な描写が人種差別的な表現なのでは無いかと
アジア人系の団体が兎角騒いだ様ですが、
文化の違いや価値観の違いを揶揄する目的で扱った様には、
個人的には感じませんでした。
勿論その辺の事に敏感な人から観たらけしからんという気持ちも
分からなくは無いのですが、
この程度のユーモアに目くじらを立てる位なら、
もっと嫌悪すべきエンターテイメントは吐いて捨てる程ある様な気がします。
寧ろ今作は慣れない異国の地で孤独に沈み込んだ主人公達が、
自分達のそれまでの価値観や立場を脱ぎ捨てて異文化に飛び込んでいく
冒険心の高ぶりを瑞々しく描いている様に感じます。
夫の仕事の付き添いで日本を訪れた
もう一人の主人公シャーロット(スカーレット・ヨハンソン)が、
夫に放って置かれホテルで缶詰め状態になる冒頭から、
一人東京の街を彷徨う中盤のシーン。
そしてボブと夜の東京を疾走する終盤のシーンまで、
東京の無機質な都会然とした描写が
途端に活き活きと躍動する街へと豹変していくのが、
実にスリリングで感動的に描かれています。
ここに「旅行」とは違う「旅」としての
出会いのスペクタクルが表現されているのです。
おつまみに身を委ねたい時

今日のおつまみは【フライドチキンと夏野菜のマリネ】です。
食欲の落ちる酷暑の中、
酢の物は私達の味方になってくれます。
素揚げした茄子とパプリカ、
更にミニトマトをかんたん酢でマリネに。
片栗粉をまぶした鶏モモ肉をじっくり揚げて、
大葉と粉チーズを振り掛けます。
フライドチキンにマリネ野菜を乗せて頂きます!
ビールによく合う夏のおススメおつまみです!
永遠は一瞬の中にある

画像引用:©2003, Focus Features all rights reserved
撮影許可を取る事が困難な事で世界的に有名な大都市「東京」。
今作では少人数の撮影隊による
ゲリラ撮影が慣行されたそうです。
西新宿の雑踏や渋谷スクランブル交差点。
手持ちカメラで撮影したブレ感のあるリアルな映像。
その場の空気をそのまま真空パックした様な
瑞々しいカットの数々が、
記憶の澱の様に観客の心に降り積もっていく様な作品になっています。
どんな立場の人間でもその人生には浮き沈みというものがあります。
ほんの些細なキッカケで今まで積み上げてきたものが
フッと風に吹かれた様に消えてしまう事だってあるのです。
永遠は一瞬の中にあると感じるのは、
映画というフィルムに刻まれた永遠性と、
一瞬の一コマにしかない真実とが、
奇跡的な化学変化を起こして
私達の心の中に刻み込まれる作用に所以するのでは無いかと思います。
写真の中の人物が永遠に歳と取らないのと同じ様に、
または長い人生を振り返るとそれは一瞬の積み重ねであったのだと
気が付く様に。
映画はファーストシーンからラストシーンまで、
間断なく続くストーリーな訳ですが、
それは永遠に繰り返される宿命にあるのです。
私達が再生ボタンを押す度に、
彼等は出会いと別れを繰り返す。
それを傍観している私達もまた、
繰り返す宿命の中に生きているというパラドックス。
私達がパークハイアット東京のニューヨーク・バーに足を踏み入れる度に、
彼等の出会いと別れはまた命を吹き込まれるのです。
一時の気の迷いに身を委ねたい時に観る映画。
人生に於ける理屈では片付けられない人間らしい迷い。
そんな形容し難い、
言葉にし難い感情のほつれの様なものを、
この映画は表現しようとしているのでは無いかと思います。
かなり抽象的なコラムになってしまいましたが、
観た人の数だけ感じ方のある作品だと思います。
是非、ご自身の目でこの永遠性を確かめて頂きたいと思います。



