SF映画

映画【第9地区】おつまみ【ディアボラ風チキンソテー】

画像引用:IMDb

こんにちは!ころっぷです!!

今日の映画は【第9地区】です。

エイリアンの地球侵略というSF映画の形を取りながら、

人間社会への問題提起を持った骨太の作品です。

この映画はこんな人におススメ!!

●最先端のVFX技術を体感したい人

●エイリアンがとにかく好きな人

●一風変わったSF映画が観たいという人

●様々な社会問題に関心がある人

タイトル第9地区
製作国アメリカ、南アフリカ、ニュージーランド
公開日2010年4月10日(日本公開)
上映時間111分
監督ニール・ブロムカンプ
出演シャールト・コプリー、ジェイソン・コープ、
デヴィッド・ジェームズ、ヴァネッサ・ハイウッド
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未知なるSF映画を体験したいと思った時に観る映画

今回の作品は衝撃的です。

物語の設定も展開も奇想天外で驚きなのですが、

そこに込められた社会問題に対する皮肉に満ちたメッセージも強烈です。

舞台は南アフリカのヨハネスブルク。

突然街の上に巨大な宇宙船が表れ、人類は未曽有の事態に見舞われます。

現実離れした話ですが、SF映画の世界においては日常茶飯事。

地球を侵略に来たエイリアンとの戦争か、はたまた種を超えた友情の物語か。

正直何度も繰り返し観て来たこの手の作品における甲乙は目新しい視覚効果位のもの。

「またか」という少々ゲンナリという方には朗報です。

この映画は普通ではありません。

宇宙船の中には指導階級者を失い、空腹と疲労で瀕死状態のエイリアン達。

一先ず厳重な管理体制の元、隔離区域においてエイリアン達は保護されます。

それから20年以上の時が経ち、隔離区域は犯罪が蔓延るスラム地区に。

エイリアン達は繁殖を続け、地区が手狭になった事で別の隔離区域に立ち退かせる事に。

このプロジェクトの責任者に抜擢されたのが本篇の主人公ヴィカス。

ここまででもかなり変わった設定の映画である事が分かりますが、

劇中ではこの衝撃の事実が、ドキュメンタリー風の演出で、

実に現実感溢れるタッチで描かれていきます。

関係者達の証言という形で、何かしらの事件が既に起こった後であるという体なのです。

「いったい何が起きたのだろうか」という観客の好奇心は否が応でも膨らみます。

非現実と現実との距離を巧みに近づける手法で、

映画を観ているのか、ドキュメンタリーフィルムを観ているか

瞬間的に混同させリアリティを増長させていく。

この辺りの物語を広げるテクニックと、リアルな映像技術が

強烈に観る者を物語に引き込んでいくのです。

絵空事とは思えない様な、皮膚感覚で何かを予感させる力。

未知のSF映画体験が始まります。

アパルトヘイトと難民問題

この作品は地球外生命体という形を取って、

差別政策や難民問題を追及しています。

南アフリカと言えば有名なアパルトヘイト政策があった国です。

白人と非白人との間にあらゆる法律で差別的優位性を設け、

著しい人権侵害を行ってきた負の歴史。

住む場所も、仕事も、選挙権も分断・制限され、

自由な生活や自由な結婚の権利もはく奪されていました。

映画でエイリアン達が隔離地区に押し込まれ、スラム化した街で最低限の不自由な

暮らしをしているのは、アパルトヘイト政策下の実態と酷似しています。

更に現代の難民生活者にも通じる様な解決困難な社会問題を、

この荒唐無稽に見えるSF映画の隠されたテーマとして鑑みることは、

考え過ぎとは言えなそうです。

人間の傲慢や不正が招く人為的な非道行為が差別であり戦争です。

その対象を地球外生命体に設定し、商業的エンターテイメント作品として

作り上げる事で、痛烈な自虐的風刺を込めている。

実際の出来事に材を取り、直接的にそれを批判する事も社会的意義がある事ですが、

フィクションの持つ想像力を最大限に飛躍させて、

暗に問題提起するこの様な作品の持つ力もまた絶大です。

映画の主人公が隔離生活者を抑圧する立場の人間から、

される側に追いやられる展開から観てもテーマは複雑です。

この現実社会において明日は我が身、何が起きるかは分かりません。

たかがSF映画と油断していると痛い目に合います。

やみつき悪魔的ソース

今日のおつまみは【ディアボラ風チキンソテー】です。

サイ〇〇ア風のメニューと今話題だそうです。

チキンは皮をパリッとしっかり焼き上げる事が重要。

ソースはバターと醤油とオイスターソースを、

チキンソテーしたフライパンでチキンから出た油ごと煮詰めます。

シンプルですが、やみ付きの旨さ。

お酒との相性も抜群です。

対立関係の狭間としての存在

画像引用:IMDb

映画の主人公ヴィカスは人間とエイリアンのハイブリットとして窮地に立たされます。

対立構造において、どちらの要素も持ち得る狭間の存在は、

単純な損益では計れない苦悩を背負いこむ事になります。

経済的格差、宗教的対立、人種差別、ジェンダー差別。

互いが互いを理解しようせずに、違いだけを理由に排斥しようとする。

無理解が疑心暗鬼の恐怖を生み、恐怖は攻撃に繋がる。

その負の連鎖は問題の大小の差こそあれ人間の(悲しい)業と言わざるを得ません。

抑圧者から非抑圧者になり、全てを失った主人公のヴィカスは、

存在するだけで差別される者の立場を初めて体験します。

その絶望的な孤独感は、我々の想像を絶する恐怖のはずです。

先鋭的な表現で観る者の好奇心を存分に刺激する映画であるが故に、

油断させられていた所への一撃はまた強烈です。

誰もが分断の狭間に開いている、底の見えない谷に転がり落ちる可能性はあるのです。

その両岸の距離を縮め、そこに橋を架ける事が出来るのもまた我々人間だけ。

互いの違いを認め合う事でしか、創造的な未来は無いのではないでしょうか。

未知なるSF映画を体験したいと思った時に観る映画。

【第9地区】を観てのまさかの社会派考察。

ちょっとこの人ヤバいんじゃと思わずに、

えいがひとつまみに今後ともお付き合い願います。