恋愛映画

映画【ア・ゴースト・ストーリー】おつまみ【冷やし中華】

画像引用:IMDb

こんにちは!ころっぷです!!

今日の映画は【ア・ゴースト・ストーリー】です。

シーツを被った姿のどこかレトロで愛らしいゴースト。

壮大な時の流れと、人間の営みの儚さを、

静謐な映像で語る一風変わった「愛」の物語。

この映画はこんな人におススメ!!

●死後の世界の疑似体感がしたい人

●静かな映画が観たい人

●実験映画に興味がある人

●大切な人をずっと見守りたいという人

タイトルア・ゴースト・ストーリー
製作国アメリカ
公開日2018年11月17日(日本公開)
上映時間92分
監督デヴィッド・ロウリー
出演ケイシー・アフレック、ルーニー・マーラ

死について考えたいという時に観る映画

今回の映画はかなり風変りな作品です。

不慮の事故でこの世を去った夫が、

ゴーストとなって妻を見守り続けるという物語です。

こう言うと、ホラーなのかまたはサスペンス映画なのかと思うかも知れませんが、

この作品は不思議ではあっても怖くはありません。

そもそもゴーストの見た目からしてシーツを頭から被っただけの子供の悪戯の様。

しかもゴーストは静かに、特に何もせずに妻の生活を見守るだけ。

その様子をロングショットの長回しで観客はただじっと傍観させられます。

この時間の流れ方と空気感の表現が不思議と心地良く、

まるで表情の無いゴーストの感情の機微が次第に浮かび上がってくる様に感じるのです。

「死」というものを扱った映画は古今東西、枚挙に暇がありませんが、

この作品の描く死後の世界のたゆたう様な時の流れが、

観る者を恍惚とさせる様な優しさや安らぎを感じさせてくれるのです。

この映画はとても自然な形で観る者に緩やかな感情移入を促し、

遠い記憶の様な心の辺境にそっと連れて行ってくれる映画だと思います。

根源的な映画表現

画像引用:IMDb

この映画はその制作過程からして風変りなものだったそうです。

本来の映画制作は何度も推敲された脚本を元に、

綿密なスケジュールと契約関係の中で企画意図の具現化を目指して行われます。

しかしこの作品は監督のデヴィッド・ロウリーの漠然としたプロットからスタートし、

まずカメラを回しながら物語を膨らませていくという手法でした。

作家の村上春樹さんのエッセイなどを読んでいると、

彼も結末を決めずに兎に角最初のシーンから書き出してみる事があるそうです。

次に何が起きるのか作者さえも分からないというスリル。

テーマや結末ありきでの作話とはまた違う表現方法だと思います。

そこに予定調和的な展開は無く、

作者さえ予想もしなかったハプニングや表現が偶発的に現れ、

当初の企画とはまた違った新鮮な作品が生み出される事にもなったりします。

そんなアーティストとして原初的な作品作りの喜びが、

この【ア・ゴースト・ストーリー】という作品の不思議な魅力の根源の様な気がします。

演じる役者も含め、今目の前で物語が誕生し続けているというその高揚感が、

作品を特別なものにしていきます。

この実験精神とそれぞれの高いポテンシャルが、

この映画の「死」をこれまでになかった形でリアルに表現するという

偉業を成功させたのだと思います。

夏の定番メニュー

今日のおつまみは【冷やし中華】です。

猛暑日が続く近頃、やっぱり夏はコレに限りますね。

スーパーで目に付いた「山形県産」の冷やし中華。

具材は胡瓜・錦糸卵・ハム・焼き豚・トマト・大葉。

オレンジとレモンの柑橘系のさっぱり醤油タレが爽やかな味。

夏の完全メシとは「冷やし中華」の事では無いでしょうか。

実験的な映画を観ながら、ド定番のメニューで舌鼓。

年取ると季節物をちゃんとその時に食べたいなぁと思う様になります。

あと何回この味に出会えるのかと無意識に考えているのかも知れないですね。

そんな食いしん坊も「死」を考える日。

死のその先へ

画像引用:IMDb

この映画は観る者にその解釈を無数に提供する作品だと思います。

目の前の風景に何を感じて何を思うか。

人それぞれの思索の旅に自由に出る事が許された不思議な体験映画なのです。

「見る」という場所から「いる」になったり、

「知る」という行為から全く関係の無い事を「思う」になったり。

作り手側から半強制的に渡させる「テーマ」を「考える」のでは無く、

自分勝手に自分だけの記憶に浸ったり出来るのが本当に心地良い作品なのです。

映画の中でゴーストは残された妻がその家を離れる間際にそっと家の壁に挟み込んだ

一枚のメモに憑りつきます。

記憶もおぼろげになりながら、ただその壁の中にあるメモが見たくて、

壁をカリカリし続けるゴースト。

「場所」というものに縛られ、不確かな自分の「存在意義」に固執する。

人は生きていようが死んでいようが、本質的には変わらないのかも知れません。

何の為に「生きて」いるのか。

死んでも尚何の為に「そこにいる」のか。

それを超越する時間というものだけが、全てを「知って」いるのかも知れません。

深い悲しみを癒す事が出来るのは「時間」だけかも知れませんが、

その「時間」が一直線上に流れ行くものでは無く、

不規則に循環し、思いもせず繋がる様な感覚。

死者の視点で描かれたこの映画には、

「時間」の不思議を強烈に感じさせるものがありました。

ただ映画を傍観していたその「時間」の中に、

自分自身の内側と外側で違う速度を持った「時間」が静かに流れていく。

何だか観念的な記事になってしまいますが、

本当に不思議な映画体験が出来る作品なのです。

死について考えたいという時に観る映画。

当たり前の事ですが、人は誰しもいつか死にます。

その死後の世界がどんなものかと想像する事もあると思います。

誰も「死」を知らないので、それはどこまでも観念的なものだと思います。

この映画を観て、「死」で終わらないものが何にせよ人それぞれあるのかも知れない。

そう何となく思いました。

この【ア・ゴースト・ストーリー】という作品を、

ちょっと風変わりな終活の一環としておススメ致します。