画像引用:©2022「瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと」製作委員会
こんにちは!ころっぷです!!
今日の映画は【瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと】です。
2021年に99歳で亡くなった瀬戸内寂聴。
作家であり、僧侶でり、一人の女性でもあった彼女の最晩年の17年間を、
一番近い所から撮影し続けた一台のカメラ。
人間、瀬戸内寂聴の素の部分を映し取った、
生きる力が湧いてくるようなドキュメンタリー映画です。
この映画はこんな人におススメ!!
●瀬戸内寂聴のファンの人
●先達の金言に触れたい人
●撮る側と撮られる側との、素晴らしい関係性を見たい人
●生きる力を分けて貰いたい人
タイトル | 瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと |
製作国 | 日本 |
公開日 | 2022年5月27日 |
上映時間 | 95分 |
監督 | 中村裕 |
出演 | 瀬戸内寂聴 |
人生の金言を聞きたいと思った時に観る映画
恐らく日本で一番有名だった僧侶、そして一番愛された僧侶が
瀬戸内寂聴という人だったのでは無いかと思います。
34歳で作家デビューし、51歳の時に出家。
その後は歯に衣着せぬキャラクターが受け、
テレビなどでもお馴染みの人気者に。
更に作家としても精力的に活動を続け、
生涯に出版した本が400冊を超える様な仕事の鬼でもありました。
そんな彼女も嘗ては夫と子を捨て駆け落ちし、
幾多の恋愛に身を投じた激情家としての一面もありました。
特に作家の井上光晴との不倫は有名な逸話です。
1994年公開のドキュメンタリー映画、
【全身小説家】はこの作家・井上光晴の晩年を追った作品で、
瀬戸内寂聴もこの中で当時の話を多く語っています。
その軽妙なキャラクターと豊かな人生経験から語られる法話は、
全国から人が集まって来る様な大変な人気を博していました。
瀬戸内寂聴という人の何がそんなに人を惹き付けたのでしょうか?
この映画ではその最晩年の17年間、
家族の様な距離感で向けられ続けたカメラによって、
瀬戸内寂聴の素の部分が映し出されています。
生きるということは愛すること
画像引用:©2022「瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと」製作委員会
ドキュメンタリー映画で最も大切なのは、
撮る側と撮られる側との距離感です。
それは何を表現したいかという事でも違ってくると思いますが、
特に人物を追う時にはとても重要になってきます。
言うまでも無く、ドキュメンタリーはありのままの現実を映す事が目的なのではなく、
そこにある真実を描く事にあります。
それは作為と演出、編集という取捨択一を持って表現される作品なのです。
今作の凄い所は、監督の中村裕と寂聴さんとの距離感に尽きると言えます。
共に食べ、共に飲み、供に笑い、共に泣く。
17年間の積み重ねで作り上げた距離感は、
正に絶妙で近過ぎず、遠過ぎずの関係性。
それは家族とも、友達とも、仲間とも、恋人とも違い、
しかしそのどれもに当てはまる様な空気感なのです。
これは勿論、瀬戸内寂聴という人が元来優しく、大らかな人物だからなのかも知れません。
しかしこの中村監督の飄々とした語り口とキャラクターが、
瀬戸内寂聴という人の心にすっと形善く収まったのだと思います。
それは理屈では無く、感覚的な、霊感的なものに近かったのかも知れません。
この関係性の心地良さが、観ている我々にも伝わってきて、
自然と頬が緩む様な温かさを感じるのです。
その何気ない日常の、食卓を挟んで向かい合い会話する2人の空気が、
如実に瀬戸内寂聴という人となりを伝えてくれます。
僧侶としての徳なのか、持って生まれた人たらしとしての天分なのか、
愛を持って人と接する寂聴さんの、人生観がそこかしこに溢れています。
こういった素の表情を、隠さず見せてくれるまでの関係性を、
築き上げた中村監督の徳とも言えるのでは無いでしょうか。
生きるということは食べること
今日のおつまみは【納豆チヂミ】です。
読んで字の如く、納豆が入ったチヂミ。
他にツナも入ってます。
付けダレも美味しかったのですが、何で作ったかは聞き忘れました。
ちょっと多めのサラダ油でカリっと焼くと本当最高ですよね。
妻はフライ返しを使わずに、豪快かつ大胆にチヂミを空中で回転させてキャッチ。
中華飯店のベテラン料理人の様なお手前でした。
生きることは食べること。
寂聴先生も本当に美味しそうに食べる人だったみたいです。
愛するということは赦すこと
画像引用:©2022「瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと」製作委員会
偉大な先達の金言。
特に僧侶であった瀬戸内寂聴という人には名言が数々残っています。
寂聴さんの宗派である天台宗には「天台本覚思想」というものがあります。
これは人は皆仏になりうる、或いはその徳が最初から備わっているという考え方。
人間の存在に対しての全肯定であり、仏の慈愛精神でもあります。
「自分という存在は他にはなく、誰もが唯一無二の存在です。一人一人に価値があり、生きている意味があります」
自らの人生を顧みて、その罪を償う為に出家した寂聴さんの言葉には、
不思議と心にスッと染み入る様な清々しさがありました。
いつも全力で笑い、全力で仕事をし、時には涙し、人間らしさを曝け出していた人。
誰もが愛さずにいられない様なチャーミングなキャラクターだった彼女は、
誰をも分け隔てる事無く愛した人だったのでは無いでしょうか?
「愛する事は赦す事、自分も赦されて生きてる事を忘れないで」
世に糾弾される様な、不義を犯した人間という自負。
瀬戸内寂聴という人は常に自分自身を赦す為に生きていたのでは無いでしょうか?
この映画はまるで聖人の様に扱われる瀬戸内寂聴という人の、
弱い部分、人間臭い部分、恥ずかしい部分も包み隠さずに映し出しています。
時には弱気になる事も、普段自分が言っている様な事とは反対の事を言ったりも。
高齢の嘆き、死への想い、人生に対する虚しさ。
そういった人間本来の姿を、隠す事がなかった寂聴さんは、
やっぱり強い人だったんだと感じました。
人生の金言を聞きたいと思った時に観る映画。
柔和な笑顔の奥に、孤独な表現者としての眼差しが垣間見える瞬間があります。
或いは仏の道を歩む事の覚悟なのかも知れません。
我々に遺してくれた多くの教え。
その一部が貴重な映像としてここにある事を本当に嬉しく思います。