画像引用:(C)2012『鍵泥棒のメソッド』製作委員会
こんにちは!ころっぷです!!
今日の映画は【鍵泥棒のメソッド】です。
緻密な脚本と細部にまで拘り抜いた画面作り。
荒唐無稽な物語ながらテンポの良い演出で
観客を強烈に引き込んでいくスートリーテリング。
日本映画界の最注目監督、内田けんじの傑作コメディ映画です。
この映画はこんな人におススメ!!
●クスっとさせる笑いが欲しい人
●ホロっとさせる感動が欲しい人
●ハラハラの展開に痺れたい人
●他人と人生を入れ替えたいなと思った事のある人
タイトル | 鍵泥棒のメソッド |
製作国 | 日本 |
公開日 | 2012年9月15日 |
上映時間 | 128分 |
監督 | 内田けんじ |
出演 | 堺雅人、香川照之、広末涼子、 荒川良々、森口瑤子、小野武彦 |
人生を一旦リセットしたい時に観る映画
今回は肩の力を抜いて、ただ良く出来た脚本と綿密な演出に身を任せていれば、
大満足間違い無しのお買い得な作品です。
映画とは芸術であると言う人がいたり、
自己表現だと言ってみたり、社会を写す鏡であると言う人なんかもいます。
でも、何と言っても映画は娯楽として人を楽しませるという要素の強いメディア。
映画大国アメリカでは信じられない様な巨額の製作費を掛けた超大作が
次々と作られていますが、映画とは不思議なものでどんな原価の作品でも
鑑賞料金は変わりません。
つまりとんでもない高級食材の料理と安価な材料で作ったジャンクフードが
同価格で売られているという事です。(ちょっと例えとしてどうかと思いますが)
しかし低予算の映画だからといって
ハリウッド超大作に劣ると一概に言える訳では無いのです。
創意工夫、卓越したアイディア、製作者の情熱、綿密な脚本。
そして映画の魔法が掛かったその時に、
作品はとんでも無い輝きを放ち始めます。
この【鍵泥棒のメソッド】とはまさにそんな作品と言えるのでは無いでしょうか。
荒唐無稽な物語に張り巡らされた伏線の数々。
小ネタの乱打で観客の心を掴み、巧みな語り口でグイグイと引き込む。
決して絢爛豪華な超大作ではありませんが、
そのアイディアと工夫で一級のハラハラドキドキエンターテイメントになっています。
まさに映画好きに愛されるタイプの玄人向け作品になっています。
アイディアを可能にするディティール
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画像引用:(C)2012『鍵泥棒のメソッド』製作委員会
物語は堺雅人演じる売れない俳優と、
香川照之演じる凄腕の殺し屋が、
銭湯での転倒事故をきっかけにその立場を入れ替えてしまうという話になっています。
記憶を失った殺し屋は売れない俳優の生活に必死に馴染もうとし、
貧乏暮らしだった俳優は後ろめたさを感じながらも、
突然の大逆転に色めき立ちます。
勿論、これは映画でしか有り得ない様な荒唐無稽な話ですが、
そこに説得力を持たせるのがディティールの力なのです。
2人の生活を徹底的にリアルに描写し、その人物造形を立体的に表現する。
住んでいる部屋、そこにある物、着ている服、読んでいる本。
更には2人が書く文字、話す言葉、表情、仕草。
全てが作り物である映画の世界を、
我々の心に響くものとして存在させるには、
仔細な部分にまで徹底した作り込みが必要なのです。
夢を見ている時に我々はそれを殆どの場合夢だと気が付いていません。
よく出来た映画も観客にこれがフィクションであるという事を、
一旦忘れさせてしまう様な力があるのです。
それがリアリティであり、物語の説得力なのです。
記憶を失って人生を入れ替えるなんて事は、
間違いなく実際に起こる事はありません。
ですが、それを違和感無く飲み込ませた上で、
予想の更に上に持っていく展開力でフィクションである事の拘りがなくなってしまう瞬間。
それが共感や感情移入となって我々に感動をもたらせてくれるのです。
内田監督は正に見事な手際で我々に最上の嘘を付いてくれます。
多国籍おつまみ
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今日のおつまみは【カレー・プレート】です。
今回は異国の地の御晩菜の様なイメージ。
野菜と挽肉を炒めてスパイスたっぷりで煮込んだカレーと、
干し葡萄入りのターメリックライス。
鶏肉と海老のフリットを副菜に、箸休めの胡瓜のピクルスも添えました。
自宅飯だからこその我儘メニュープレート。
多国籍な香りが食卓に非日常を演出してくれました。
映画におけるもしも
![](https://eigahitotsumami.com/wp-content/uploads/2024/06/photo_6.jpg)
画像引用:(C)2012『鍵泥棒のメソッド』製作委員会
我々の人生にはやり直しの機会は残念ながらありません。
ちょっと失敗したからリセットしてまたセーブした所からやり直すというのは不可能です。
しかし映画という嘘の中であれば無限の可能性があります。
今作の主人公の一人である殺し屋のコンドウは、
頭を打って記憶喪失になる事で全く別の人間の人生を生き直す事になります。
しかも持ち前の几帳面な性格と弛まぬ努力の成果で、
仕事を得たり、恋人を得たり、順調な生活を築いていきます。
記憶というその人間のアイデンティティをごっそりと失うアクシデントを前に、
逆に成長してしまう皮肉なまでの前向きさ。
それがこの映画のナンセンスさであり、身に詰まる教訓でもあるのです。
人をその人とたらしめているものは経験や記憶だけでは無く、
置かれた状況に堅実に向き合う姿勢なのだと教えてくれているようです。
そして記憶を取り戻した殺し屋のコンドウは、
それまでの人生を捨てて生まれ変わろうとします。
余計な外聞を脱ぎ捨てた自分自身に想いを寄せてくれる人の為に、
本当の意味で変わろうと決心するのです。
そこに普遍的な人間の成長と希望がさり気無く描かれています。
人生を一旦リセットしたい時に観る映画。
それぞれの人生を入れ替えた二人の男は、
記憶を取り戻すした後も前の自分とは大きく変わっていました。
それは自分自身を客観視出来た事で、
それまでの自分を省みたからなのかも知れません。
鍵泥棒のメソッドは誰にも真似出来る様な方法論ではありませんが、
人は何時でもどんな状況でも生き直す事が出来るという、
希望を感じさせる物語になっています。