画像引用:IMDb
こんにちは!ころっぷです!!
今日の映画は【チョコレートドーナツ】です。
舞台は1979年、カリフォルニア。
ショーパブダンサーと弁護士のゲイカップルが、
ダウン症の少年と家族と築く物語。
差別や偏見、法律問題や薬物問題に材を取り、
「愛」を正面から描き切った感動のヒューマンドラマです。
注:今回は記事の都合上、ネタバレがあります。
この映画はこんな人におススメ!!
●ジェンダー問題を考えたい人
●障害者について考えたい人
●法律の限界を考えたい人
●「愛」について考えたい人
タイトル | チョコレートドーナツ |
製作国 | アメリカ |
公開日 | 2014年4月14日(日本公開) |
上映時間 | 97分 |
監督 | トラヴィス・ファイン |
出演 | アラン・カミング、ギャレット・ディラハント、 アイザック・レイヴァ、 |
エンドロールの先を考え続けるべき映画
この映画は私達観客に強く問い掛けます。
「あなたはハッピーエンドを望みますか?」
当然、多くの人が「YES」と答えるでしょう。
悲しい結末よりも、楽しい結末の方が誰だって観たいはずです。
それでは、あなたはその為に何が出来ますか?
勿論、あなたが既に完成した映画を編集し直すという話ではありません。
この世界で、悲しい結末を見ないで済む為に、
あなたに何が出来るのか?
何と戦えるのか?という事です。
この映画は多くの人に感動の涙を提供した作品です。
でも、それ以上に厳しい問い掛けをこの作品は投げ掛けているのです。
世に蔓延る差別や偏見。
犯罪やそれを裁き、抑止する筈の法律の問題点。
薬物依存の問題、貧困、低所得の問題。
家族、親子、職場での暴力、嫌がらせ。
更に人間の根源的な嫉妬、妬み、弱さ、不寛容。
この映画は社会的マイノリティ達が必死に生きる姿を通して、
我々の心の奥にある醜いものと対峙させる作品でもあるのです。
主人公達の「愛」に満ちた素晴らしい日々の後に、
我々観客に圧倒的な虚無感を抱かせる作品なのです。
それでも監督や出演者や製作者達が、
この映画でどうしても訴えたかった事。
ハッピーエンドへの期待を裏切ってでも伝えたかった事。
辛辣で目を背けたくなる様な「現実」を映し出しているからこそ、
この映画はどうしようもなく我々の感情を揺さ振るのです。
何の為に愛するのか
![](https://eigahitotsumami.com/wp-content/uploads/2024/02/pic_story01.jpg)
画像引用:IMDb
物語は3人の出会いから始まります。
歌手を夢見るショーパブダンサーのルディ。
ゲイである事を周囲に隠している弁護士のポール。
薬物依存の母親から育児放棄されているダウン症の少年マルコ。
世間の偏見と差別を横目に、3人は「家族」になります。
それは互いの苦しみや寂しさを温め合う様な関係でした。
彼等の望みは、ただ当たり前の幸せを感じる事でした。
しかしそれを世間は許しませんでした。
理由は単純で「普通」と違っているからです。
人は自分と違う考えを持って、自分と違う生き方をする人間を嫌います。
放って置けば良いのに、口を出して邪魔をしようとします。
何故でしょうか?
それは「怖い」からです。
自分の価値観を壊す存在がただ怖いから、排除しようとするのです。
そしてそれを「正義」と呼んだり、「常識」と思ったりします。
我々は何の為に人を愛するのでしょうか?
相手の為?自分の為?或いは世間体の為でしょうか?
物語の3人は教えてくれます。
それは誰も1人では生きていけないからです。
生きる為に愛して欲しいから、愛するのだと思います。
それは利己的な自己愛でしょうか?
映画で少年マルコはルディに寝る前のお話をせがみます。
ハッピーエンドの話という条件付きです。
そこでルディが即興で披露したのが、魔法使い少年マルコのお話。
この差別と偏見に満ちた世界で、
「魔法」の使えない我々が生きていく為に、
唯一の方法が愛する事なのだと、この映画は教えてくれています。
背徳の味
![](https://eigahitotsumami.com/wp-content/uploads/2024/02/IMG_20240209_073530-768x1024.jpg)
今日のおやつは【チョコレートドーナツ】です。
これは流石におつまみにはなりません。
少年マルコの大好物だったチョコレートドーナツ。
映画では身体に悪い食べ物だとルディに言われますが、
それでもやっぱり甘い物は美味しいですよね。
正に背徳の味。
深煎りビターなインドネシアのコーヒーと良く合いました。
何の為に戦うのか
![](https://eigahitotsumami.com/wp-content/uploads/2024/02/adc08b6c7a3f965c70c5a45b3ec01685-1024x538.jpg)
画像引用:IMDb
映画は悲しい結末になります。
3人にハッピーエンドは用意されませんでした。
またも差別と偏見と不寛容が悲劇を起こしてしまいます。
我々は怒り、悲しみ、茫然としてしまいます。
法律は社会を守るルールですが、
残念ながら人を常に幸せにする為の物ではありません。
この世に絶対的な「正義」は無いのです。
3人の「家族」を引き裂いた法律や不寛容も、
立場を変えれば「正義」に映るのかも知れません。
我々も差別と偏見を持った、不寛容な「正義」信心者なのでは無いでしょうか?
映画はそう問い掛けているのです。
彼等は知らないだけなのかも知れません。
彼等が本当に互いを愛し、必要としていた事を。
我々もそれを知らなければ、
差別と偏見で持って「正義」を振りかざしていたかも知れません。
何の為に戦うのか?そして何と戦うのか?
それは弱く狭い考えを持った、自分自身となのかも知れません。
エンドロールの先を考え続けるべき映画。
映画のラストで、歌手を夢見るルディが歌を唄うシーンがあります。
ボブ・ディランが1967年に制作した「アイ・シャル・ビー・リリースト」。
この曲は無実の罪で投獄された囚人が「俺は釈放されるべきだ」という意味の歌詞です。
ルディはこの不寛容な「正義」が支配する牢獄から、
いつの日か、自由になる事を強く信じて唄います。
この歌唱シーンは本当に感動的です。
観る者の魂を揺さぶる演技とは、正にこの事だと思います。
そして我々がそれぞれの生活の中で、
「正義」と戦えるよう、鼓舞してくれている様に聞こえるのです。
いつの日か、ハッピーエンドを迎えられる様に。