ヒューマンドラマ映画

映画【チョコレートドーナツ】おやつ【チョコレートドーナツ】

画像引用:IMDb

この映画はこんな人におススメ!!

●ジェンダー問題を考えたい人

●障害者について考えたい人

●法律の限界を考えたい人

●「愛」について考えたい人

タイトルチョコレートドーナツ
製作国アメリカ
公開日2014年4月14日(日本公開)
上映時間97分
監督トラヴィス・ファイン
出演アラン・カミング、ギャレット・ディラハント、
アイザック・レイヴァ、

エンドロールの先を考え続けるべき映画

この映画は私達観客に強く問い掛けます。

「あなたはハッピーエンドを望みますか?」

当然、多くの人が「YES」と答えるでしょう。

悲しい結末よりも、楽しい結末の方が誰だって観たいはずです。

それでは、あなたはその為に何が出来ますか?

勿論、あなたが既に完成した映画を編集し直すという話ではありません。

この世界で、悲しい結末を見ないで済む為に、

あなたに何が出来るのか?

何と戦えるのか?という事です。

この映画は多くの人に感動の涙を提供した作品です。

でも、それ以上に厳しい問い掛けをこの作品は投げ掛けているのです。

世に蔓延る差別や偏見。

犯罪やそれを裁き、抑止する筈の法律の問題点。

薬物依存の問題、貧困、低所得の問題。

家族、親子、職場での暴力、嫌がらせ。

更に人間の根源的な嫉妬、妬み、弱さ、不寛容。

この映画は社会的マイノリティ達が必死に生きる姿を通して、

我々の心の奥にある醜いものと対峙させる作品でもあるのです。

主人公達の「愛」に満ちた素晴らしい日々の後に、

我々観客に圧倒的な虚無感を抱かせる作品なのです。

それでも監督や出演者や製作者達が、

この映画でどうしても訴えたかった事。

ハッピーエンドへの期待を裏切ってでも伝えたかった事。

辛辣で目を背けたくなる様な「現実」を映し出しているからこそ、

この映画はどうしようもなく我々の感情を揺さ振るのです。

何の為に愛するのか

画像引用:IMDb

物語は3人の出会いから始まります。

歌手を夢見るショーパブダンサーのルディ。

ゲイである事を周囲に隠している弁護士のポール。

薬物依存の母親から育児放棄されているダウン症の少年マルコ。

世間の偏見と差別を横目に、3人は「家族」になります。

それは互いの苦しみや寂しさを温め合う様な関係でした。

彼等の望みは、ただ当たり前の幸せを感じる事でした。

しかしそれを世間は許しませんでした。

理由は単純で「普通」と違っているからです。

人は自分と違う考えを持って、自分と違う生き方をする人間を嫌います。

放って置けば良いのに、口を出して邪魔をしようとします。

何故でしょうか?

それは「怖い」からです。

自分の価値観を壊す存在がただ怖いから、排除しようとするのです。

そしてそれを「正義」と呼んだり、「常識」と思ったりします。

我々は何の為に人を愛するのでしょうか?

相手の為?自分の為?或いは世間体の為でしょうか?

物語の3人は教えてくれます。

それは誰も1人では生きていけないからです。

生きる為に愛して欲しいから、愛するのだと思います。

それは利己的な自己愛でしょうか?

映画で少年マルコはルディに寝る前のお話をせがみます。

ハッピーエンドの話という条件付きです。

そこでルディが即興で披露したのが、魔法使い少年マルコのお話。

この差別と偏見に満ちた世界で、

「魔法」の使えない我々が生きていく為に、

唯一の方法が愛する事なのだと、この映画は教えてくれています。

背徳の味

今日のおやつは【チョコレートドーナツ】です。

これは流石におつまみにはなりません。

少年マルコの大好物だったチョコレートドーナツ。

映画では身体に悪い食べ物だとルディに言われますが、

それでもやっぱり甘い物は美味しいですよね。

正に背徳の味。

深煎りビターなインドネシアのコーヒーと良く合いました。

何の為に戦うのか

画像引用:IMDb

映画は悲しい結末になります。

3人にハッピーエンドは用意されませんでした。

またも差別と偏見と不寛容が悲劇を起こしてしまいます。

我々は怒り、悲しみ、茫然としてしまいます。

法律は社会を守るルールですが、

残念ながら人を常に幸せにする為の物ではありません。

この世に絶対的な「正義」は無いのです。

3人の「家族」を引き裂いた法律や不寛容も、

立場を変えれば「正義」に映るのかも知れません。

我々も差別と偏見を持った、不寛容な「正義」信心者なのでは無いでしょうか?

映画はそう問い掛けているのです。

彼等は知らないだけなのかも知れません。

彼等が本当に互いを愛し、必要としていた事を。

我々もそれを知らなければ、

差別と偏見で持って「正義」を振りかざしていたかも知れません。

何の為に戦うのか?そして何と戦うのか?

それは弱く狭い考えを持った、自分自身となのかも知れません。

エンドロールの先を考え続けるべき映画。

映画のラストで、歌手を夢見るルディが歌を唄うシーンがあります。

ボブ・ディランが1967年に制作した「アイ・シャル・ビー・リリースト」。

この曲は無実の罪で投獄された囚人が「俺は釈放されるべきだ」という意味の歌詞です。

ルディはこの不寛容な「正義」が支配する牢獄から、

いつの日か、自由になる事を強く信じて唄います。

この歌唱シーンは本当に感動的です。

観る者の魂を揺さぶる演技とは、正にこの事だと思います。

そして我々がそれぞれの生活の中で、

「正義」と戦えるよう、鼓舞してくれている様に聞こえるのです。

いつの日か、ハッピーエンドを迎えられる様に。