恋愛映画

映画【花束みたいな恋をした】おつまみ【酢豚】

画像引用:(C)2021「花束みたいな恋をした」製作委員会

こんにちは!ころっぷです!!

今日の映画は【花束みたいな恋をした】です。

菅田将暉と有村架純が演じる、ごく普通のカップルの5年間を描いた恋愛映画。

全ての世代が共感を持って鑑賞出来る普遍性を持った物語。

登場人物達に自然と感情移入し、

爽やかな余韻を感じさせる映画になっています。

この映画はこんな人におススメ!!

●過去の恋愛が懐かしい人

●今の恋愛に悩んでいる人

●未来の恋愛の参考にしたい人

●等身大の主人公達に感情移入したい人

タイトル花束みたいな恋をした
製作国日本
公開日2021年1月29日
上映時間124分
監督土井裕泰
出演菅田将暉、有村架純、
清原果耶、細田佳央太、
オダギリジョー、
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主人公に思いっきり自分を重ねたい時に観る映画

映画はその時代を写す鏡であるのと同時に、

観る人一人一人の内面を投影するスクリーンの様なものであると思います。

この【花束みたいな恋をした】という映画にも、

主人公達に自分自身を重ね合わせ、

忘れてしまっていた感情の機微を見せ付けられる様なシーンが随所にあったりします。

忙しいの日常の中で、

自分の気持ちに向き合えたり、再認識出来る機会は非常に貴重です。

特別な事が何も起こらなくても、

そこには確かな人間の厚みが存在していて、

そういった普遍的な手触りを獲得している映画というのもまた非常に稀です。

是枝裕和監督の映画【怪物】で、

カンヌ国際映画祭脚本賞を受賞した坂元裕二によるリアルで緻密な脚本。

数々のテレビドラマでヒット作を演出してきた土井裕泰による

自然で親和性のある空気感の演出。

一流のキャストとスタッフによる、

特別な事が起きる訳では無い、特別な映画になっています。

世界は偶然で出来ている

画像引用:(C)2021「花束みたいな恋をした」製作委員会

偶然の出逢いと必然の別れ。

人は何かに向かって生きている時でも、そうではない時でも、

決してそこに留まってはいません。

時間の流れは常に何らかの変化を私達に与え続けています。

映画の主人公達の出逢いはアクシデントの様な偶然であり、

そこに奇跡的な趣味趣向の一致があり、

時がそこに徐々にズレを生じさせ、

不可避の別れを遂げていきます。

「映画の様な恋」とよく言いますが、

この作品で描かれている恋は、

現実の世界にも違和感なく存在出来る様な質感を持っています。

偶然の出来事や、些細な選択の結果で人生は如何様にも変わっていきます。

「あの時、こうしていれば」とか、

「あんな事を言っていなければ」とか、

人生が数多の偶然に支配される事の必然は、大いなる謎と言えるのではないでしょうか。

この作品の主人公達に自然と感情移入出来るのは、

自分達に近い価値観を持って自分達と同じ様な偶然が支配する世界に生きていると

感じるからなのかも知れません。

彼等に世界は都合良く回ってくれませんし、勿論特別な待遇の用意もありません。

奇跡的なまでに趣味や性格が似通っていた2人にも、

現実は容赦無い変化を浴びせていきます。

それは誰の所為でも無く、正解や答えも無く、

問いに対して諦めずに考え続ける事でしか生きていけない、

ごくありふれた普通の人生が描かれています。

社会からある意味はみ出して馴染む事が出来なかった2人。

自分達だけに価値ある様に見えた、

様々なサブカルチャーを共有する事で安心と保身が出来ていた頃。

若い2人の健気で楽し気な姿には、永遠に続く事の無い儚さの影が、

常に見え隠れしている様な危うさがあります。

不可避の価値観のズレ。

状況の変化によるすれ違い。

それまで必要無かったはずの場所に生じるそれぞれの我慢が、

互いの心を疲弊させていきます。

この辺りの自然な流れと描写は本当に誰しも覚えがある様な、

リアルで生々しい質感で容赦なく迫ってきます。

変わらない大好物

今日のおつまみは【酢豚】です。

時の流れが容赦なく人を変えていっても、

私の大好物は変わりません。

今回はカルディ様の黒酢あんを使用。

具材は豚肉、茄子、ピーマン、蓮根、カボチャ、エリンギ。

野菜の栄養を沢山取れて、

肉食の満足感もある。

一挙両得、間違いの無いメニューです。

いつかは出ていく部屋

画像引用:(C)2021「花束みたいな恋をした」製作委員会

映画の2人は好きな本、音楽、漫画などがピッタリ一致する事で意気投合していきます。

好きな物や人の趣向そのものが自分のアイデンティティの様に感じた事は、

きっと誰しも多かれ少なかれ経験があるのでは無いでしょうか。

大衆世間とは一線を画す、自分だけがその価値の理解者であるという

優越感を依代に、2人の生活は2人だけの世界を築く様なある意味で閉鎖的なものでした。

それは一時のユートピアで、とても居心地の良い空間として機能します。

しかし生活の為、将来の為に変わらざるを得なくなるのも現実。

社会に出て懸命に戦う事で疲弊し、いつの間にか互いの価値観に大きなズレがある事に

気が付きます。

これもやっぱり誰もが自分に重ね合わせる事が出来る普遍的なリアルですね。

どっちが悪いとか正しいでは無く、

どうしようもない平行線で相容れなくなってしまう気持ち。

この辺りの展開は本当に切実で、無理なく描かれているので、

我々観客はそこに自分の物語を観る事になっていくのです。

あれだけ楽しくて特別だった生活と空間が、

色褪せて見えてしまう事。

先の不安に圧し潰されそうになる2人の姿に、

観る者は強烈なシンパシーを感じます。

主人公に思いっきり自分を重ねたい時に観る映画。

人生に答えが無い様に、映画にも無数の解釈が存在します。

そこに確かな人物造形があれば、

人は自分勝手にしっかりと自分を投影していきます。

この【花束みたいな恋をした】という作品は、

投影対象としての切実さと信頼性が備わっている稀有な作品だと思います。

正に今彼等の様に恋に夢中になっている人達も、

過去の自分をそこに観る人達にも、

いつかこんな出逢いをしたいという人にとっても、

温かな人間肯定を感じられる、

爽やかな映画として心に残っていくと思います。