ドキュメンタリー映画

映画【行き止まりの世界に生まれて】おつまみ【蟹カマ玉】

画像引用:IMDb

この映画はこんな人におススメ!!

●スケートボードが好きな人

●アメリカの社会問題に興味がある人

●心に深い傷を持つ人

●これから世に出ようとする全ての人

タイトル行き止まりの世界に生まれて
製作国アメリカ
公開日2020年9月4日(日本公開)
上映時間93分
監督ビン・リュー
出演キアー・ジョンソン、ザック・マリガン、
ビン・リュー

行き止まりのその先へ進みたいと思った時に観る映画

今回は特に若い世代の人におススメしたい作品です。

自我に目覚め、社会と対峙し、現実にぶち当たり、

それでも前に進んで行こうとする若者達。

誰しも少なからず経験し、共感し得る物語がこの作品にはあります。

舞台はアメリカのロックフォードという地方都市。

かつては自動車産業で栄え、そして次第に衰退していった

「ラストベルト」(錆び付いた工業地帯)と呼ばれる街です。

そもそもは監督のビン・リューがスケートボード仲間の技術やスケーティングの様子を

記録したホームビデオが発端となった映画です。

彼等のスケートボードに明け暮れる姿を記録する内に、

その人生のバックボーンに迫るドキュメンタリーを撮影する事を思い付き、

この映画に結実しました。

彼等はそもそもがスーケート仲間という共通項があるので、

実にリアルな質感で被写体との距離も近いものになっています。

この映画を観る我々も、いつしか彼等の生活を同視点で眺め、

次第に感情移入していく作りになっています。

ドキュメンタリー作品というものが、

現実をそのままに映し取るものでは無く、

人が生きる姿を通して、何を伝えるかという作為に基づく創作である事の、

飾らない力強さを感じる事が出来る作品になっています。

自分が何者であるのか。

それをカメラのこちら側とあちら側でそれぞれに表現しあう姿。

その営みを通して、我々観客も自分自身の人生に対峙できる様な、

貴重な体験映画であると思います。

それぞれの過去と未来

画像引用:IMDb

この作品の被写体であるキアーとザックという2人の青年と、

監督であるビンには幼児虐待という共通のトラウマ体験があります。

幼少期の受け入れ難い暴力により、

彼等はそれぞれにいつまでも消化し得ない傷を抱えて生きる事になりました。

不景気な街で、希望の無い社会の中で育った彼等の、

唯一の心の余地所がスケートボードとその仲間達の存在でした。

同じ様な傷を抱え、先の見えない未来に不安を思う者同士、

彼等の持つ連帯感は一種独特な絆の様に見えます。

互いをリスペクトする気持ちと、自分を誇示する自尊心と、

他人を軽んじる軽率さが、若い彼等の表情には目まぐるしく映っています。

カメラという存在がある限り、それは彼等の素の表情では無いのかも知れませんが、

ここに記録された彼等の葛藤には、予測不可能な人生の悲喜こもごもが、

実にありのままの形で表現されています。

それはカメラを持つ監督のビン・リューが、

限りなく被写体の感覚で彼等を映し取ろうと徹しているからであり、

彼等との距離感があり得ない程近いからなのかも知れません。

音楽や編集で彩られた「作品」であっても、

それはどこまでもプライベートフィルムの「現実感」を維持していると感じます。

撮り続ける事と撮られ続ける事で、

何か現状を打破しようとするエネルギーを感じるからこそ、

見ている我々の感情をかき乱すのだと思います。

それは最も原初的なドキュメンタリーの持つ力なのでは無いでしょうか?

筋書きの無いドキュメンタリーだからこそ、

作為を越えた予想外の展開や飛躍もあり得ます。

思い掛けずに作品のテーマを鷲掴みにするようなシーンが生み出されたり。

偶然と必然のバランスがある種の奇跡を生み出すのが、

優れたドキュメンタリー作品なのかも知れません。

フワフワの極み

今日のおつまみは【蟹カマ玉】です。

文字通り蟹カマボコ入りの玉子焼き。

甘酢あんも妻特製。

わたくし大好物が天津飯でして、

当然蟹玉も好物。

本物の蟹はちょっと贅沢なので蟹カマ入りです。

フワフワ玉子と甘酢のバランスが絶妙。

本当は白米の上に乗せたい所ですが、

糖質制限でここは我慢。

でもお酒にも合う一品でした。

ライフ・イズ・ゴー・オン

画像引用:IMDb

ドキュメンタリー作品は劇映画の様な筋書きはありません。

当たり前ですが。

故に「終わり」というものが本意的に存在しません。

勿論、映画は終わりますが、彼等の人生は今日も続いています。

日々、私達は仕事に追われ、家事に追われ、変化に追いかけられます。

映画の中の彼等にも、様々な変化が起こりました。

幼児虐待という強烈なトラウマとどうのように向き合うのか。

これはこの作品の大きなテーマでした。

キアーは既に父親を失っていました。

父親との最後の時、彼は喧嘩して家を飛び出していました。

厳しい父親に反発しながらも彼は心からその父親を愛していました。

数年振りに訪れた父親の墓前で流したキアーの涙が、

信じられない程に清らかだったのは、越えられない過去をそのままに、

それでも前に進もうと成長する人間の力強さであると感じました。

もう一人の主人公のザックは、彼自身が父親になります。

しかし中々定職に就かず、窮屈な生活にため込んだ鬱憤を、

妻に暴力という形で表現してしまいます。

自分が受けた傷を他人に与えてしまう現実の悲しさが強烈に胸を打ちます。

監督であるビンは母親の再婚相手の男性から暴力を受けていました。

その事をこの映画の中で母親に自らインタビューという形で問い掛けます。

「どうして自分はあんな目に合わなくてはならなかったのか?」

それぞれがもがきながら過去と対峙し、前に進んで行きます。

そこに無駄な装飾は無く、ただ剥き出しの人間の姿が映し出されます。

たった一つのルールは「ライフ・イズ・ゴー・オン」

人生は続くという事です。

そんな当たり前の事が、何にも代え難い美しさと残酷さで迫ってくる作品です。

行き止まりのその先へ進みたいと思った時に観る映画。

行き止まりだと思った先にも道はあります。

それは更に困難な上り坂かも知れません。

それでも立ち止まらずに一歩ずつ進むことが出来たなら、

必ず景色は変わります。

一見享楽的な若者の姿が我々に教えてくれたのは、

本当に当たり前で大切な人生の哲学でした。