恋愛映画

映画【パンチドランク・ラブ】おつまみ【海老のフリッター】

画像引用:IMDb

この映画はこんな人におススメ!!

●既存の恋愛映画に満足出来ない人

●誰にも理解されないフラストレーションを抱える人

●満たされない日常を変えたい人

●狂気的な純愛を垣間見たい人

タイトルパンチドランク・ラブ
製作国アメリカ
公開日2003年7月26日(日本公開)
上映時間95分
監督ポール・トーマス・アンダーソン
出演アダム・サンドラー、エミリー・ワトソン、
フィリップ・シーモア・ホフマン、ルイス・ガスマン

人生を変える様な一目惚れに憧れた時に観る映画

今日は天才監督ポール・トーマス・アンダーソンの

ちょっと変わった恋愛映画のおススメです。

7人の姉を持つ主人公のバリーはちょっと精神的に問題を抱える独身男性。

理由も無く泣いたり、突発的に破壊衝動に駆られたりするやや迷惑系の人物。

自意識過剰な故に、周りの無理解と不寛容に必要以上に敏感になってしまう所があります。

こう言った、どこにでもいる様な少し周りから浮いてしまっている人物を

演じさせたら右に出る者がいないアダム・サンドラーによって、

バリーという登場人物は非常にリアルに立体的に描かれていきます。

確かに周りの人間とのトラブルには本人の性格的な問題も原因にはあるのですが、

このバリーという人物は非常に真っ当に、自分なりのスタンスでスマートに

世間の中で生きて行こうとしているだけなのです。

状況や環境がそれを許さない様な所があって、心根の優しい彼はそれを

自分の孤独の中で増幅させて吐き出す術を知らないだけの様に見えます。

この主人公のキャラクターには多かれ少なかれ共感を呼ぶ切実さがあります。

誰しも覚えのあるような感情の発露が、バリーに見られるのではないでしょうか?

とてもリアルでいて、滑稽で、悲しい主人公。

この映画はそんな強烈な普遍性を秘めた変わり者の主人公が、

一目惚れの効力で人生を少しづつ変えていく様を描いていきます。

世界の片隅でミニマムに生きる

画像引用:IMDb

この映画の肝は主人公バリーのキャラクター造形に尽きます。

この一見変わり者で問題だらけのバリーという男に、

どうやって観客が感情移入する所まで漕ぎ着けるかというのが勝負なのです。

天才的な人物描写で世界3大映画祭全てで監督賞を受賞している、

ポール・トーマス・アンダーソンの正に自虐的なまでに困難なミッションとも言えます。

最初にこのバリーというキャラクターの異常性が観客に植え付けられていきます。

殺風景な倉庫の様なオフィスで冗談の様な商品のセールス事業をしている主人公。

彼のストレスの元凶である、彼の人生を委縮させ続ける最強の7人の姉達。

常に取り繕った様な笑顔を貼り付かせたバリーの表情には、

世界の片隅で自分だけのミニマムな世界に閉じこもった現代人の特徴が強く見られます。

多数を占める価値観がノーマルと見なされ、

少数の思考や価値観が異常視されてしまう現代の社会構造の縮図が、

このバリーというキャラクターの中にさり気無く問題提起されています。

社会的なノーマルの前では、個人のこだわりは無力です。

どんな言い分も「引っ込んでろ」の一言で跳ね返されてしまいます。

そんな経験を重ねれば、もはや自分の本心を説明する意欲は完全に失われ、

訳も無く泣いたり、意味も無く破壊衝動に駆られる事にも納得出来る様な気がします。

映画は黙っていても自然に観客が感情移入していくものではありません。

この異常者として描かれる主人公バリーの人間性に理解を広げていけるのは、

ポール・トーマス・アンダーソンが書き上げる生きた台詞を、

超絶技巧の細やかな演技で表現するアダム・サンドラーの実力によるものなのです。

目の泳ぎ方、指の揺れ方、体の重心の取り方、台詞の抑揚と声のかすれ方。

全身を研ぎ澄ませた演技の信じられない様なクオリティーの蓄積が、

我々観客と主人公バリーの心の距離を近づけていくのです。

「これは俺だ」「この人は私だ」

という感情移入が強烈に波の様に押し寄せてくるのです。

海老祭り

今日のおつまみは【海老のフリッター】です。

まぁ、天ぷらと呼んでも良いのですが、

今回は敢えてフリッターと呼びます。

妻こだわりの炭酸水で作った衣がとにかくサクッとしていて美味でした。

三度の飯よりも海老が好きと豪語する妻の、

海老欲が炸裂した一皿です。

白ワインに合う最高のおつまみでした。

走る正直者

画像引用:IMDb

完全に閉じていたバリーの世界の扉を唐突に開いたもの、

それがパンチドランク・ラブ(強烈な一目惚れ)でした。

彼の変化は緩やかに表現されていきます。

自分だけのミニマムな世界に閉じこもり、他人の理解を諦めていた男は、

少しずつ「正直者」になっていきます。

詰まらない嘘や虚栄で取り繕っていた自分自身を開放していく術を身に付けていくのです。

それがバリーを大きく変えた「恋」の効能でした。

自分が世界から拒絶された存在だと思い込み、

それならこっちも世界を拒絶してやると息巻いていた孤独な主人公。

そんなモノクロームな意識を突き破ってきたのが、

全身ピンクの服で登場したリナという女性でした。

彼女との出会いによってバリーの世界に色彩が溢れ出てきます。

映画のイメージを決定づけるパステルのカラーバーは、

バリーの心に光の乱射として降り注がれたリナという世界の光でした。

やがてバリーは自分の本心を隠さずに伝える事を学んでいきます。

世界に色が溢れ、自分だけがそれを拒絶していた事に気が付いたからです。

ありのままの自分でいる事を受け入れ、新たな人生を歩む予感にたった2人。

彼等のこれからに相応しい言葉、

「さあ、始めましょう」というリナの台詞で幕を閉じるこの物語は、

どこにでもいる人間のどこにでもある問題だらけの人生に、

美しい色彩のハレーションを満遍なく当ててくれる希望に満ちたものでした。

人生を変える様な一目惚れに憧れた時に観る映画。

ポール・トーマス・アンダーソン監督のエキセントリックな物語は、

一見取っ付き難くて不条理に映るかも知れません。

或いは奇をてらった思わせ振りなアーティストだと感じることも。

しかし、彼の作品には自分を惨めだと思い込んでいる人間に対する寛容の精神があります。

それを優しく笑ってあげる暖かさがあります。

1999年の【マグノリア】にも。

2021年の【リコリス・ピザ】にも。

世界の片隅で必死に走る正直者達に対する「愛」があるからこそ、

彼の作品には強烈な感情移入がセットになっているのでは無いでしょうか?

これからも彼の作品には油断する事無く対峙していきたいと思います。