画像引用:©疾走プロダクション
こんにちは!ころっぷです!!
今日の映画は【全身小説家】です。
1994年公開の日本のドキュメンタリー作品。
「死者の時」や「地の群れ」などで知られる小説家、
井上光晴の最晩年に密着した映画です。
被写体との独特の距離感が生むドキュメンタリーの虚構性。
鬼才・原一男監督の鬼気迫る作家性が爆発した、
日本映画史に燦然と輝く傑作です!!
この映画はこんな人におススメ!!
●戦後派の文学が好きな人
●小説家の実像に興味がある人
●ドキュメンタリーの虚構性に触れたい人
●死ぬまでにしたい事がある人
| タイトル | 全身小説家 |
| 製作国 | 日本 |
| 公開日 | 1994年9月23日 |
| 上映時間 | 157分 |
| 監督 | 原一男 |
| 出演 | 井上光晴、井上郁子、 埴谷雄高、瀬戸内寂聴、 |
人生の虚実について考えたい時に観る映画
小説家の仕事の第一は上手に嘘を吐く事です。
それをこれ程までに体現した作家はいないのではないでしょうか。
作家・井上光晴は1926年生まれの戦後派を代表する小説家です。
彼の作品は戦後の日本社会の差別や矛盾に対する、
前衛的な手法を用いた提起として高い評価を得てきました。
わたくしころっぷは恥ずかしながらこの作家の著書を読んだ事が無いのですが、
このドキュメンタリー映画を通してその作品に大いに興味が沸きました。
今作の監督・原一男は、
言わずと知れた日本のドキュメンタリー映画の伝説的作品、
【ゆきゆきて、神軍】で知られる作家です。
この作品はカメラを向けられた被写体が、
それを意識した演技的行動に走る事を含め、
人間の奥深い滑稽さを炙り出した傑作ドキュメンタリー映画でした。
それから7年後の1994年に公開されたのが、
この作家・井上光晴の最晩年の5年間を追った【全身小説家】です。
癌に冒され自身の生涯の決算を迫られた老作家。
と言っても作家の享年は66才なのでまだまだこれからという時期でもありました。
そして井上光晴という一人の作家の内面には、
複雑な出自からくる虚構に満ちた粉飾性があったようです。
彼自身が語る経歴にはいくつもの虚言があり、
それが作家としての表現の源になっている所がまた非常に興味深い点です。
「嘘」によって「真実」を描くという、
小説家の宿命を地でいく正に「全身小説家」と言える存在。
そんな人間味溢れる被写体に肉薄したフィルムには、
私達自身の人生に向ける事の出来る、
冷静な考察を促す力が宿っているのです。
作家が後世に伝えたかった事

画像引用:©疾走プロダクション
作家・井上光晴が後世に伝えたかった事とは一体何だったのでしょうか。
その著作を読んでもいないのに、
それを語る資格が無い事は重々承知の上で、
敢えてこのドキュメンタリー作品を観た上で言わせて頂ければ、
それは「世を疑い、嘘で真実を表現しろ」という、
作家自身の哲学ではないかと感じました。
現代のコンプライアンス的にはNGであっても、
決して人間として品行方正である必要は無く、
作家とは世を欺きながら、
時には他人を踏みつけながらでも、
「真実」を追い求めるものであると、
どこか彼の言葉や表情にはそんな鬼気迫る所を感じました。
自身の出自や記憶でさえ「嘘」で演出した井上光晴という人間には、
それでも表現しなければならなかった、
逼迫した重いテーマがあった様に思います。
日本国民が帝国主義の名の元に、
大いなる「嘘」の上に一致団結した戦争体験。
そこに生涯のテーマを置いた作家にとって、
「嘘」というものが人々に何をもたらし、
そしてどれだけの「力」を持っているかという事を、
自らの生涯を賭して表現したのであろうと思います。
現代社会に於いて、
作家に限らずこれだけの決意と熱情を持って自分の仕事に立ち向かう人間が
如何程存在するでしょうか。
その道徳的評価は一先ず置いておくとしても、
これだけのエネルギーを他者に注ぎ込める人間もまた稀有であると思います。
彼が全国に支社を置いた「文学伝習所」なる私塾の生徒達から、
まるで神の様に崇められるインタビューが本作にも収録されていますが、
その一種異様な新興宗教の教祖の様に神格化された一人の作家の、
実に人間臭く人の心を掌握していく「人たらし」振りが印象的でした。
強烈な個性からくるカリスマ性。
今では最も危険視される異端性。
思想の左右に関わらず、
全国に5000人以上の受講者を持っていたとされる
圧倒的な存在感をフィルムに刻み付けた、
今作の存在価値は正に計り知れないと感じます。
時に厳しく後進達を叱咤する姿には、
現代社会では出会う事の出来ない激烈な作家性を感じる事が出来ます。
そこにドキュメンタリー作品の宿命とも言える、
被写体の虚構性を感じられるのがまた、
今作を傑作たらしめている根源であると言えます。
全身おつまみ

今日のおつまみは【よだれ鶏】です。
よだれが出る程美味いという中国の四川料理だそうです。
勿論、本格的なレシピなどでは無く、
簡易的なものですが十分美味しかったです。
鶏むね肉を茹でたものに、
桃屋さんの食べるラー油と酢などを混ぜたタレを掛けました。
これからの季節にはピッタリのピリ辛メニュー。
ビールのお供に堪らない一皿でした。
命を賭した先人達の仕事

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この映画から私達が学ぶべき事、
それは作家・井上光晴の生き方そのもの、
「虚構によって人は真実を得る事が出来る」という事だと思います。
映画の中で井上光晴は、
「やりたい事は全部やった方がいい」と豪語します。
末期癌に冒されても尚、
自分は死なないと言い切るその虚構性の中に、
井上光晴自身が「虚構」の中に「真実」を見て、
それをよすがに生きてきたという事の凄みがあります。
そこまでの確信と覚悟を持って文学と向き合っている作家を、
残念ながら私は他に知りません。
わたくしころっぷも4年ほど前から小説を書いてきました。
稚拙ながらも自身の創作と向き合う日々を過ごしてきました。
そんな中でこの井上光晴という先達の激烈な生き様を観て、
改めて表現というものの残酷さと美しさに圧倒されます。
これは正に命懸けの行いであったのだろうと感じました。
それは単なる職業でも飯の種でも無く、
生きる為に仕方の無い生き様そのもの。
その「嘘」で塗り固められた人生に翻弄された数多の知人達の顔が、
一様にして故人を貴ぶ様である事にも、
この小説家が尋常では無い魅力を持っていたのだという証なのだと思います。
作家はその著書だけでなく人の記憶に残るものなのだと教えられました。
人の死には忘れ去られた時に訪れる二度目の死があると言います。
この偉大な作家にそれが起きない様に、
私達はこれからも「虚構」の世界を自由に味わえる世界を
維持していかなくてはならないと強く心に感じました。
人生の虚実について考えたい時に観る映画。
人間が「事実」だけに価値を置く生き物であるならば、
とっくにこの世から小説や映画は消えて無くなっているでしょう。
私達は心血注がれた「嘘」の世界の中にこそ、
自由であったり希望であったりを感じて生きていけるのかも知れません。
ドキュメンタリーとはその為にこれからも存在するのでしょう。



