サスペンス映画

映画【スリー・ビルボード】おつまみ【スリー・オードブル】

画像引用:IMDb

こんにちは!ころっぷです!!

今日の映画は【スリー・ビルボード】です。

アメリカの田舎町で起きた陰惨な事件。

関わる様々な登場人物のリアルな生き様が、

強烈に胸に突き刺さるサスペンス映画です。

この映画はこんな人におススメ!!

●怒りを抱えて生きている人

●でも許す心を持ちたい人

●実力派の俳優達の演技にシビレたい人

●重いテーマにじっくりと向き合いたい人

タイトルスリー・ビルボード
製作国アメリカ
公開日2018年2月1日(日本公開)
上映時間115分
監督マーティン・マクドナー
出演フランシス・マクドーマンド、ウディ・ハレルソン、
サム・ロックウェル、アビー・コーニッシュ、
ピーター・ディンクレイジ、ルーカス・ヘッジズ

持って行き場の無い怒りを抱えた時に観る映画

今回の映画はとても重いテーマを扱った作品です。

強い怒りが生きる原動力の様な主人公のミルドレッド。

彼女は十代の娘をレイプされ殺されるという凄惨な体験をしています。

何の手掛かりも掴めない地元警察の捜査に憤りを覚えるミルドレッドは、

自宅の傍の道路で朽ち果てていた三枚の広告看板にメッセージを掲げます。

それは警察署長を名指しで批判する内容。

保守的な街の住民達はこのミルドレッドの行為に激しく動揺します。

見えぬ犯人に対する持って行き場の無い怒りと共に、

不寛容な田舎の住民達とも対峙せねばならないミルドレッド。

犯罪の被害者家族が抱える社会からの疎外も映画は現実として突き付けます。

憎むべきは犯人なのに、怒りは様々な方向に加速し広がっていきます。

それはまるで山火事の様に勢いを留める事が難しいもの。

人間の感情は決して理屈や綺麗事では片付かない複雑な物です。

事件に関わってしまった人間達のそれぞれの人生が大きく狂い、

変化していく様をサスペンスフルに、そして丁寧に描き切った

見事なドラマ作品になっています。

アメリカ社会が抱える闇

画像引用:IMDb

映画の舞台は架空の町ですが、アメリカ中西部のミズーリ州エビング。

この町が実にアメリカの田舎町を象徴する様な雰囲気なのです。

人種差別や貧富格差が露骨なヒエラルキーを形作り、

社会的弱者を嘲弄する人間が根強く残る土地柄。

アメリカ的な男性優位が幅を利かす様な超保守的な町。

そこで起きたミルドレッドの娘の事件は、

町の住民達にとって過去に葬りたい汚点であるかの様な扱いなのです。

タフであるという事を他人への攻撃でしか表現出来ない人間。

自己の優位性を暴力で誇示しようとする風潮。

輪を乱すハミ出し者は、全員で排除する保守性。

権力を妄信する思考停止の思想。

アメリカ社会に限った話ではありませんが、

この閉塞的なコミュニティーの全部乗せの様な舞台設定が、

物語の強烈な批判対象として浮かび上がってきます。

多様性が皆無の社会が持つ危うさ、

犯罪が一種の冗談の様に扱われる狂気的な状況が、

本当に根の深い問題であると痛感させられます。

スリー・オードブル

今日のおつまみは【スリー・オードブル】です。

ちょっと映画と強引に関連付けた感が否めないですが、

絶妙なバランスで彩られたワンプレートになっています。

左はアスパラガスのソテーに目玉焼き卵を乗せたもの。

黄身を絡ませながら食べると絶品の旨さです。

真中は鶏ムネ肉のグリルにスプラウトサラダを乗せました。

高タンパクで低カロリーな食材に栄養満点のトッピング。

ボリューム満点でお酒にも合います。

右側はシンプルなポテトソテー。

表面をカリッと強火で仕上げ、オリーブオイルと香草が食欲をそそります。

手段を選らばないアンチヒロイン

画像引用:IMDb

主人公・ミルドレッドは決して清廉潔白なヒロインではありません。

目的の為なら法も犯すし、人も傷付けます。

そもそも殺された娘との関係は順調とは言えず、

事件の直前には喧嘩別れになってしまっています。

自分との諍いが原因で事件に巻き込まれたという悔恨の念を抱え、

ミルドレッドは地獄の様な苦しみの中それでも這いつくばって生きています。

彼女が望むのは当然、娘を奪った犯人の逮捕。

しかしそれは娘の為であると同時に、自分の罪を軽くする為でもあるのかも知れません。

母親としての自分に大きな後悔を抱え、

自分を許せないからこそ、他人に怒りをぶつけてしまう。

寛容であろうと思っても、生きる為に攻撃的にならざるを得ない。

この映画は憎むべき犯罪以上に、人間が如何に怒りを赦しに転換するかという、

難しい問題に焦点を当てている作品なのです。

それは勿論犯罪を赦すという事ではありません。

捜査を進展出来ない警察を赦すという事でもありません。

自分が自分であるという事を赦す事が出来るのかという問い。

映画はそれを安易に達成したり、或いは断念したりはしません。

ただその萌芽をささやかながら匂わせる事で、

その後の登場人物達の人生に僅かな希望を感じさせる様に描いています。

持って行き場の無い怒りを抱えた時に観る映画。

この映画の素晴らしい所は、これ程までに重いテーマを扱っていながらも、

ユーモラスで笑ってしまえる様な滑稽な描写が散りばめられている点にもあります。

ヒリヒリとした緊張感だけでは無く、

人間の本来的な可笑しさ、豊かさ、そして美しさを感じる事が出来るでしょう。

本当に見事な脚本と演技で作り上げられた傑作です。

観るのに覚悟はいりますが、決して後悔させない作品である事は間違いありません。