ヒューマンドラマ映画

映画【スモーク】おつまみ【豚肉のパイナップル巻きフライ】

画像引用:©1995 Miramax/N.D.F./Euro Space

この映画はこんな人におススメ!!

●ニューヨークの街並が好きな人

●いぶし銀の演技が観たい人

●人の不思議な縁を体感したい人

●行間を想像する喜びを味わいたい人

タイトルスモーク
製作国アメリカ、日本、ドイツ
公開日1995年10月7日(日本公開)
上映時間113分
監督ウェイン・ワン
出演ハーヴェイ・カイテル、ウィリアム・ハート、ハロルド・ペリノー・ジュニア、
フォレスト・ウィテカー

本物の物語が観たい時の映画

映画には大概、ストーリー(物語)というものが存在します。

何を表現する作品であれ、それをストーリーという筋書きの上に乗せて語るのです。

それは人の手による作り話です。

真実では無く、虚構。大抵が嘘で出来ています。

しかしこの映画の原作者であるアメリカの作家ポール・オースターはこう言っています。

「信じる者がひとりでもいれば、その物語は真実にちがいない」

果たして真実とは何でしょうか?

実際に起きた本当の出来事を指すのでしょうか?

その答えはこの映画を観終わった一人一人の心の中にあるのでは無いでしょうか。

今作の脚本を手掛けた作家ポール・オースターが2024年77歳で亡くなりました。

私も20代の頃から読み続けてきた大好きな小説家でした。

詩的な文体で、人間の悲しみや喪失感を不思議なストーリーに乗せて表現する作家でした。

ブルックリンに住み、ブルックリンを舞台にした作品を書き続けたオースターにとって、

この映画の景色は真実と言えるものだったのでは無いでしょうか?

作り話に生涯を捧げた作家が遺した真実。

生身の俳優達がキャラクターを演じた事によって、

小説は一歩真実に近付いた様に感じたりします。

彼等が実際に存在していなくても、

彼等が話すストーリーが実際には起こっていなかったとしても、

真実は確かにその場所にひっそりと残されている様な気がします。

あの時代の、あの瞬間にしか起こり得なかった

奇跡の様な空気感が閉じ込められた映画です。

小説の行間の様に、映画のカットとカットの間には無限の時間が流れています。

それを私達に想像させてくれる映画こそが、

真実のストーリーなのでは無いでしょうか。

ブルックリンの街角で

画像引用:©1995 Miramax/N.D.F./Euro Space

物語は何人かの登場人物が交差する様に描かれます。

ブルックリンの街角で小さな煙草屋を経営するオーギー(ハーヴェイ・カイテル)。

彼は10年以上も同じ時間に同じ場所の写真を撮り続けています。

その煙草屋の常連の近所に住む作家のポール(ウィリアム・ハート)。

彼は銀行強盗事件で失った妻への喪失感から新しい小説が書けないでいます。

そんなポールが通りでトラックに轢かれそうになる所を助けた黒人の青年ラシード。

彼はギャングの金を持ち逃げし追われている身でもあり、

また生き別れた父親を捜す為に家出をしています。

ニューヨーク、ブルックリンの街角で偶然の縁で出会う男達。

彼等は一見打ち解けますが、互いに嘘や秘密を抱えています。

それぞれに何かを失った喪失感を抱え、都会で孤独に生きる登場人物達。

彼等の距離感を絶妙に表現したカメラワークが実に秀逸で、

監督の丁寧な人物描写が我々をグイグイと物語に引き込んでくれます。

どんな映画でも登場人物は作り物で架空の存在ですが、

この映画のキャラクター達には描かれていないそれまでの行程や、

これからの道行が感じられる様でまるでよく書けた小説の様なのです。

勿論、ベテランの演技者の優れたパフォーマンスがそれを実現しているのですが、

それを立体的に組み立てて尚且つ描かれていない部分を想像させる様な演出となると、

これが長く映画を観続けてきていても中々出会う事が出来ないものなのです。

正に本物の物語が目の前で語られていく様な興奮を感じずにはいられないのです。

伝統の一品

今日のおつまみは【豚肉のパイナップル巻きフライ】です。

これは妻の実家に伝わる伝統のメニューです。

缶詰のパイナップルを豚肉の薄切りで巻いて衣を付けて油で揚げる。

この絶妙なハーモニーが癖になる味なのです。

酢豚にパイナップルを入れるか論争は良く聞きますが、

ここまで思い切ったレシピなら最早論争も起きません。

これが意外と合うんです!

騙されたと思って一度お試し下さい。

嘘つき達の真実

画像引用:©1995 Miramax/N.D.F./Euro Space

この映画のテーマは「嘘」です。

人間は長く生きていると色んな嘘を吐きますし、

色んな嘘と出会います。

嘘はそれが嘘であったのかも分からない不明瞭な人生の澱の様なものです。

結局はそれが事実であったかどうかは重要ではなく、

それを信じた事によってどう感じたかが大切なのです。

それは映画という「嘘」にとっても同じ事。

受け取り側の解釈で、嘘は真実になりその人の人生を豊かにしたりもします。

悪意を持って騙す事は良くない事ですが、

相手の「嘘」に気付きながら騙されてあげようとするのも、

また一つの情なのかも知れません。

この映画の登場人物達も「嘘」を吐きますし、

相手を喜ばせる為の「作り話」もします。

「秘密」を抱えていたり、自分でも「嘘」か「本当」か分からない事に

人を巻き込んだりもします。

でも人生が全て「本当」の事だけで出来ていたら皆幸せで仲良く暮らせるのでしょうか?

人生をより面白くするのは、

ちょっと刺激的な「嘘」というスパイスだったりもするはずです。

彼等は確かに「本心」を言わない人間達であるかも知れません。

しかしその上で確かな信頼感で繋がってるとも言えるのです。

人間は本来的に嘘つきであり、そこに真実があるのかも知れません。

本物の物語が観たい時の映画。

ポール・オースターによる見事な台詞の数々。

直接的に何かを示唆する映画ではありませんが、

不完全で不格好なキャラクター達がぶつかり合う事で、

心を震わせる様な静かな感動をもたらせてくれます。

どこにでもある様な何気ない日常の切り抜きなのですが、

本当に深い余韻に浸る事の出来る作品です。

あの時のあの言葉の意味は一体何だったんだろうか?

そんなふと思い出して立ち止まらせられる様な体験が、

この映画には沢山あると思います。