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こんにちは!ころっぷです。
今日の映画は【ダークシティ】です。
1998年公開のSFサスペンス作品。
映画ファンの間ではカルト的な人気を博している作品です。
時を経て評価された本物のオリジナリティ。
観る者を選ぶ独特の世界観が癖になります。
この映画はこんな人におススメ!!
●ダークな世界観が好きな人
●難解な映画が好きな人
●後のSF作品に多大な影響を与えた作品を観たい人
●映画の価値は自分で判断したいという人
タイトル | ダークシティ |
製作国 | アメリカ |
公開日 | 1998年11月28日(日本公開) |
上映時間 | 100分 |
監督 | アレックス・プロヤス |
出演 | ルーファス・シーウェル、ジェニファー・コネリー、 キーファー・サザーランド、ウィリアム・ハート |
アイデンティティを見つめ直したい時に観る映画
今回はちょっとマニアックな映画のおススメになるかも知れません。
1998年公開のアメリカ映画ですが、興行的には振るわず、
当時の批評も余り好意的とは言えない作品でした。
難解なテーマと地味で内証的な物語が一般の観客には受けなかったのかも知れません。
しかしこの作品は時の洗礼を受けるに従って、
映画ファンの間で再評価され、今日ではSF映画の一つの金字塔として、
カルト的な評価と人気を集める作品になりました。
説明過多な現代の風潮の中では、この映画の分からなさはある意味新鮮で、
様々な考察を発起させる懐の深さを感じさせてくれます。
記憶を失った主人公が目覚めたのは、闇が支配する街・ダークシティ。
この街ではストレンジャーと呼ばれる奇妙な集団が、
夜中の12時になると時間を止めて、人々に偽の記憶を植え付けて回ります。
人々は捏造された記憶の元に目覚め、混乱した生活を送る事になります。
この奇想天外なストーリーと、こだわりの美術セットで構築された世界観が
我々に問い掛けるのは、自己のアイデンティティの不確かさというテーマ。
人間が自分の存在をどこまで確証出来るのかというSF的なアプローチからの検証。
古今東西、創作に於ける大きなテーマの一つでもあるのが、
このアイデンティティと世界との関係性にあります。
自分の存在とは何なのか。
普遍的かつ根源的な問いに寄り添ってくれるのがSF作品の魅力でもあります。
ポップカルチャーのカオス
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映画の冒頭はまるで40年代ハリウッドのフィルム・ノワール(犯罪映画)の様です。
ファッションや画面構図にもその影響が随所に見られ、
ハンフリー・ボガード主演の【マルタの鷹】などの探偵映画を彷彿とさせます。
更にストレンジャーと呼ばれる奇妙な集団が登場すると、
ドイツ表現主義作品の影響を強く感じさせます。
ロベルト・ヴィーネ監督の【カリガリ博士】の歪んだセットの街並みや、
F・W・ムルナウ監督の【吸血鬼ノスフェラトゥ】の吸血鬼を思わせるビジュアル。
フリッツ・ラング監督の古典映画【M】の雰囲気も感じさせます。
ストレンジャーの地下アジトの大きな顔の像などは、
フランスの著名な漫画家であるメビウスの影響を受けているそうです。
70年代の【スターウォーズ】や【エイリアン】などの世界観を踏襲しつつ、
あらゆる時代のあらゆるポップカルチャーをミックスして世界観を構築した、
アレックス・プロヤス監督の審美眼が時を経て評価させたと言えます。
芸術や娯楽作品に於ける時代を超えた影響の螺旋。
作り手達のイマジネーションが受け継がれていく様は、
我々観客にとっても興味深い所です。
新たな才能が世に生まれる時、
その人がどんな作品で育ち影響を受けているのか。
そんな観点から映画を観てみるのも面白いと思います。
居酒屋メニューの再現
我々の好きな居酒屋のメニューをアレンジさせて頂きました。
キャベツの千切りに鶏ササミ、ベビースターラーメン、
紅生姜、チーズを散らしてソースとマヨネーズを掛けます。
繋ぎのないお好み焼きをサラダで食べる様な感じなのですが、
居酒屋のメニューに倣って敢えて【もんじゃサラダ】です。
簡単かつ美味しい、満足感もある一品です。
戦いのカタルシス
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地球外生命体の侵略はSF映画の定石とも言えるモチーフです。
宇宙人という分かりやすい敵を配置して、
ヒーローやヒロインが地球の危機を救うというプロットは、
映画に於ける最も完成されたエンターテイメントなのではないでしょうか。
善悪が単純では無くなった現代に於いては、
何処からもクレームを受ける事無く戦いのカタルシスを描けるのは、
宇宙人の侵略位になってしまいました。
(昔の西部劇などは歴史観的にも人種問題的にも現在ではアウトでしょう)
この【ダークシティ】でも執拗に主人公をつけ狙うのは、
地球外から侵略してきたストレンジャーと呼ばれる集団です。
人間の記憶を奪って、自分達の進化に利用しようとする彼等の目的がまた秀逸です。
ストレンジャー達は全ての個体が共通した意識で生きています。
つまり個性というものが存在しない。
強固な連帯で繁栄した彼等も、今や存続が危ぶまれる存在なのです。
そこで人間の記憶転換の実験により、
生物に於ける個体認識や個性の働きを観察する目的でダークシティを運営しているのです。
神の箱庭に於ける実験モルモットの様な人間の姿が、
絵空事と思えない様な実感を伴う恐怖を感じさせます。
人間が自分自身のアイデンティティを持ち、
意思の力で大きな存在に立ち向かう図式は、
何時の時代も大きなカタルシスを感じさせます。
全体主義に対するテーゼとも取る事が出来ますが、
主人公の救い主になったかの様なラストシーンといい、
キリスト教的な世界観を感じたりもする作品です。
この何でもありのミクスチャー感がこの映画の最大の魅力なのかも知れません。
アイデンティティを見つめ直したい時に観る映画。
25年前の映画とは思えない新鮮な驚きに満ちた作品です。